◎きょうは、はじまりの日 「京大有志の会」がビデオクリップ

 集団的自衛権の行使など違憲の戦争法(安保法制)を、安倍政権と自民党、公明党が参院で強行して9月19日で1年。国会前で、豊田市など全国440カ所以上で1周年の行動が行われました。

 「自由と平和のための京大有志の会」は強行採決された1年前に、「あしたのための声明書」を発表しています。詩のような声明書は、このブログ「トヨタで生きる」で紹介しました。
http://toyotaroudousya.blog135.fc2.com/blog-entry-1911.html

……
(略)
 きょうは、はじまりの日。
 憲法を貶めた法律を葬り去る作業のはじまり。
 賛成票を投じたツケを議員たちが苦々しく噛みしめる日々のはじまり。
 人の生命を軽んじ、人の尊厳を踏みにじる独裁政治の終わりのはじまり。
 自由と平和への願いをさらに深く、さらに広く共有するための、あらゆる試みのはじまり。
……

50 京大有志の会 ビデオクリップ


 「声明書」とともに、心に残る画像と組み合わせたビデオクリップ(2分半程度)を作成しています。次のアドレスで見ることができます。ビデオクリップで、戦争法廃止の思いを新たにしようではありませんか。

http://www.kyotounivfreedom.com/news/manifestofortomorrow_video/

              ◇

 この記事は、9月23日にアップの予定でしたが、都合により前日にアップしました。
戦争と平和 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/09/22 18:22

◎戦争法強行1年 豊田で、名古屋で、国会前で行動

 戦争法(安保法制)が安倍政権によって参院で強行採決されて9月19日で1年。国会前で2万3000人が、名古屋市で2000人が、豊田市で30人が、全国440カ所以上で戦争法廃止と憲法9条の改悪反対の行動を行った。

              ◇

 安倍政権は、戦争法にもとづいて、自衛隊に国連平和維持活動(PKO)での「駆けつけ警護」の訓練を開始することを命じた。最初のケースとして想定されているのが南スーダンだ。

 名古屋市中区の白川公園で、「安倍内閣の暴走を止めよう! あいち集会 9・19戦争法強行1周年大集会・デモ」に2000人が参加。午後1時30分から集会が始まった。パラパラ小雨が落ちてくる。

1周年1

1周年2

1周年3
(日本共産党の本村伸子衆院議員=左=と民進党の近藤昭一衆院議員)

1周年4


 安倍内閣の暴走を止めよう共同行動実行委員会の長峯信彦共同代表はあいさつで、「私たちがばらばらにされてはいけない。衆院選でも野党共闘をすすめていこう」と語りました。

 日本共産党の本村伸子衆院議員と民進党の近藤昭一議員が、壇上で並んで、これからも国民との共闘で戦争法を廃止に追い込む、とあいさつした。集会後、高校生のコールに合わせて、繁華街の栄に向かってデモ行進した。

              ◇

 豊田市では、夕方5時から豊田市駅前のペデストリアンデッキで、1周年のスタンディングアピールをした。横断幕やプラカードをかかげてリレートークした。

 戦争法廃止署名には、若い人も積極的に応じてくれた。これからも毎月19日には、豊田市でも全国でも戦争法廃止の行動は続くだろう。

1周年5

1周年6

1周年7


 リレートークで、ある女性の訴えが印象に残った。その女性の友人の息子は自衛官で、最近、南スーダンから日本に戻ったという。自衛官は、人が変わったように神経質になり、精神的にも不安定になったと報告していた。

 まだ“駆けつけ警護”が始まっていないのに、相当緊張を強いられているのではないかと感じた。戦争法で、自衛官が「殺し、殺される」ことがないようにするには、廃止する以外にない。

戦争と平和 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/09/20 15:38

◎「9条が日本の平和を守っているんだよ」

 加藤紘一元自民党幹事長(77)が9月9日、亡くなりました。思想・信条の違いを超えて死を悼む声があがっています。日本共産党の志位和夫委員長は、ツイッターで発信しました。

「加藤紘一さんの訃報に接し、とても寂しい思いです。90年代後半、加藤さんが自民党幹事長時代、テレビ討論などでたびたび一騎打ちの討論を行ったこと、立場は違っても議論をかみあわせての丁々発止の論戦は、終わった後にある種の爽やかさを感じたことを思い出します。心からお悔やみを申し上げます」

 自民党と加藤家の合同葬儀が9月15日、東京で行われました。加藤氏と「YKKトリオ」を結成した山崎拓元党副総裁が読み上げた弔辞が話題になっています。

 山崎氏は、弔辞のなかで、次のように加藤氏との思い出を語りました(産経新聞の要旨から)。

……
 2年前、君がミャンマーに旅発つ直前に天ぷらそばを食べましたね。そのとき、僕はずっと懐疑的に思っていたことを思い切ってききました。それは「君は本当に憲法9条改正に反対か」という問いでした。

 君は「うん」と答えました。「一言一句もか」と、またききました。「そうだよ。9条が日本の平和を守っているんだよ」と断言しました。振り返ってみると、これは君の僕に対する遺言でした。まさに日本の政界最強最高のリベラルがこの世を去ったという思いです。
……

80 加藤紘一 リベラル本
(加藤紘一氏と姜尚中の共著)

 加藤氏が、山崎氏に「9条が日本の平和を守っているんだよ」と語ったことは、安倍政権に衝撃を与えるでしょう。しかも、山崎氏は加藤氏を「日本の政界最強最高のリベラル」とほめたたえているからです。

 かつての自民党は、保守リベラルと呼ばれていた政治家が大きな存在を示していました。加藤氏が所属していた派閥・宏池会は、その典型です。しかし、宏池会を引き継いだ岸田文雄外相には、リベラルのかけらもなくなっています。

 岸田氏は、憲法違反の集団的自衛権の行使を盛り込んだ安保法制(戦争法)を、安倍首相とともに強行しました。自衛隊員を、アメリカが戦争するあらゆる場所-地球の裏側にまで送り込もうとしています。

 加藤氏や山崎氏は、集団的自衛権の行使は認めず、憲法9条を守る側にいた自民党のリベラルな政治家でした。そうした政治家が自民党に育たなくなったのは、衆院に小選挙区制が導入され、政党助成金制度が設けられて、自民党総裁が人事権を一手に握るようになったからだといわれています。

 かつての自民党は、幅広い考えを認め、異論も飲み込むような大人の風貌を持っていました。しかし、2、3世が圧倒的になり、戦争体験が継承されず、同質な政治家ばかりになっています。こんな政党に未来があるのでしょうか。
戦争と平和 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2016/09/19 11:26

◎核兵器問題 中国は平和・進歩勢力の側にない

 日本共産党が中国共産党に厳しく抗議した――マレーシのアクアラルンプールで開かれていたアジア政党国際会議(ICAPP)第9回総会(9月1~3日に開かれ、37カ国から与野党合わせて87党の代表が出席)でのことです。

 「クアラルンプール宣言」の採択をめぐって、日本共産党代表団(団長・志位和夫委員長)は、核兵器問題の項目に関して、中国共産党がとった態度について、志位和夫委員長は次のように語っています。

 「少なくとも核兵器問題については、中国はもはや平和・進歩勢力の側にあるとはいえないということです。核保有国の代弁者として『核兵器のない世界』を求める動きを妨害する。これが中国の立場です」

 「中国はもはや平和・進歩勢力の側にあるとはいえない」という厳しい批判をしています。何があったのか? 「核兵器禁止条約のすみやかな交渉開始を呼びかける」という、大多数の国連加盟国と市民社会が求めている核兵器廃絶をめぐる焦眉の課題が、中国によって削除されたからです。

 しかも、宣言案に入っていたのが、採択の直前になって、中国共産党代表団がこの部分の削除を強硬に求めたことから、同部分を削除した草案が配布され、採択されるという結果になったからです。

 日本共産党代表団は採択のさい、総会の民主的運営を乱暴に踏みにじる中国共産党のやり方で、宣言の内容が変更・後退させられたことを厳しく批判。宣言の部分的保留を表明する文書を議長団に提出しました。

アジアの地図


 なぜ、中国共産党はこんな態度をとったのか? 志位委員長は次のように指摘します。

 「中国はある時期まで、核兵器禁止条約の国際交渉を主張してきました。ところがこの数年、変化が起きています。とくに際立ったのは、昨年秋の国連総会で、核兵器の禁止・廃絶に関する法的措置を議論する作業部会(OEWG)を設置する決議案が採択されたときのことです」

 「このとき核保有五大国―P5(米国、ロシア、英国、フランス、中国)は頑強に反対する態度をとりました。国際社会の圧倒的多数で核兵器禁止条約に向けて動きだしているときに、それに逆らう動きに中国は加わった。今回の中国のふるまいの根底には、こうした中国の深刻な変質があります」

40 核実験


 アジア政党会議での中国共産党の問題について、志位委員長は詳細に語っており、次のアドレスで読むことができます。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2016-09-08/2016090801_01_0.html

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 この記事は、7月18日にアップする予定でしたが、都合により15日にアップしました。
戦争と平和 | コメント(3) | トラックバック(0) | 2016/09/15 19:29

◎戦争法強行1年 全国300カ所で行動

 安倍政権が戦争法(安保法制)を参院で強行採決したのが2015年9月19日。それから1年になります。名古屋市で19日に集会、デモが行われるのをはじめ、全国300カ所以上で戦争法廃止を求めた行動が行われます。

 安倍政権は、戦争法にもとづいて、自衛隊に国連平和維持活動(PKO)での「駆けつけ警護」の訓練を開始することを命じました。参院選後に先送りしていたものです。最初のケースとして想定されているのが南スーダンです。

 南スーダンは、事実上の内戦状態です。PKOの参加原則である停戦の維持も、当事国の同意ができるかどうか、危うい状況です。憲法9条で禁止されている武力行使となる可能性があります。

豊田駅 20150917
(戦争法を廃止せよと豊田駅前でスタンデング=2015年9月17日)

 江戸時代が終わり、近代日本が始まった1867年から終戦までの78年間。侵略戦争の口火になった日清戦争から日露戦争、朝鮮の植民地化、「満州国」というかいらい政権のでっちあげ、アジア・太平洋戦争へて終戦。日本の78年間のほとんどは、戦争状態でした。

 戦争をもう2度としないと誓ったのが憲法9条です。戦後71年間、日本人はだれ1人戦争で殺さなかったし、殺されもしませんでした。9条こそが最大の戦争への抑止力になってきました。

 戦争法によって、遠い、遠い南スーダンでのPKO活動は、「殺し殺される」初めてのケースになるのではないかといわれています。安倍政権は、それを実行しようとしているのです。

名古屋 20150918
(戦争法を強行するなと名古屋市栄でデモ行進=2015年9月18日)

 1年前の9月。愛知県では、戦争法を強行しようとする安倍政権に対し、豊田駅(9月17日)や名古屋市の栄(9月18日)などで集会、デモ、スタンデングなどを行って抗議しました。

 強行後も名古屋駅前では、シールズTOKAIの集会(9月27日、約1500人が参加)に、日本共産党の小池晃参院議員・副委員長=当時、現書記局長=と本村伸子衆院議員、民主党の近藤昭一、山尾志桜里(現民進党政調会長)の両衆院議員が参加。参加者の「野党は共闘」の声援に手をつないでこたえました。

名古屋 20150927
(シールズTOKAIの集会で、声援にこたえる=左から=本村、山尾、近藤、小池の各国会議員=2015年9月27日)


 あれから1年。9月19日を中心に、全国300カ所以上で行われる行動は、戦争法強行の怒りを、決して忘れない、廃案に追い込もうと行われるものです。名古屋市での19日(祭日)の行動は、中区の白川公園で午後1時半から行われます。

 「安倍内閣の暴走を止めよう! あいち集会 9・19戦争法強行1周年大集会&大デモ」(安倍内閣の暴走を止めよう共同行動実行委員会)の名称です。参加しようではありませんか。
戦争と平和 | コメント(4) | トラックバック(0) | 2016/09/13 15:56

◎4野党共闘で議席2倍に 次期衆院選小選挙区

 東京新聞が、次期衆院選で295ある小選挙区で4野党(民進、共産、生活、社民)共闘が実現したなら、議席を現在の2倍になる可能性があるとの試算をしています(9月4日付)。安倍政権が改憲勢力を集めて憲法9条を改悪しようとしているだけに、野党共闘の必要性は高まっています。

 同紙の試算によると、2014年に行われた前回衆院選の4野党の得票を単純に合算したところ、野党の勝利は前回の43選挙区から、2・1倍の91選挙区になったといいます。

東京新聞 衆院野党共闘 試算
(東京新聞、9月4日付から)

 14年の衆院選の小選挙区では、自民党が222議席、公明党が9議席で、与党で8割近い議席を占めました。自公共闘している選挙区もあります。

 これに対し野党4党側は、当時の民主が38、共産1、生活2、社民1で、4党が統一候補とした沖縄4区での勝利を足しても、43にとどまりました。これは、4野党がばらばらに候補者をたてていたからです。

 今年7月の参院選では、32ある1人区ですべて4野党が共闘。11選挙区で勝利する大きな成果をあげました。野党共闘ができなかった3年前の参院選では、2選挙区しか勝利できませんでした。

 衆院選の小選挙区はもちろん1人区であり、東京新聞の試算のように野党共闘が実現したなら安倍政権を追い詰めることができます。参院選では、「1+1」以上の共闘効果がでています。衆院選で真剣に野党共闘を追求することは、国民の願いにかなうものです。
戦争と平和 | コメント(1) | トラックバック(0) | 2016/09/06 07:53

◎マンガ家たちの「私の8月15日展」

 「8月15日」といえば、お盆だけではなく、戦前の侵略戦争「アジア・太平洋戦争」が終わった日だ。戦争と平和の資料館「ピースあいち」でこの夏、「私の8月15日展 マンガ家・戦争体験者――あの日の記憶」が開かれたので、見に行った。

 ピース愛知は、2回目の訪問だった。名古屋市名東区よもぎ台2-820にあり、東名高速名古屋インターから15分ほどだ。1、2階は常設展示場で、3階が今回の企画展だ。

 マンガ家が絵とともに8月15日の記憶をつづったものが多数展示されていた。著作権があるので写真撮影はできなかった。ビラの表紙に、銃剣を持った水木しげるさんが描いた日本軍のマンガがある。

ピース写真2


 水木さんがパプアニューギニアやラバウルでたたかわされたことは、NHKの連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」で見た。戦争で左手を失ったものの、ビラに「助かった」と書かれているように、復員し戦後のマンガ界をリードした人だ。

 しかし、戦場へ行かされたマンガ家だけではない。まだ幼く、召集されなかったマンガ家も、育ち盛りなのにろくに食べるものはなく、飢えの体験などをつづっていた。戦争は戦場だけではなく、すべての人からすべてのものを奪いつくす。

 「個人」なんて、虫けらのように踏み潰された。現在の日本国憲法には、「すべて国民は、個人として尊重される」(13条)と書き込まれた。これは、戦前の痛切な反省から生まれたのだ。

ピース写真1
(「ピースあいち」の常設展)

 自民党は改憲草案で、「個人」を「人」に置き換えようとしている。戦争を進めるには、「個人として尊重」していたらできないことを安倍政権や自民党は知っているからだろう。

 現在、ネットにあふれている映像は、安倍政権が強行に強行を重ねている、米軍のための沖縄県高谷のヘリパッド建設での機動隊の暴力的排除の様子だ。愛知県警、福岡県警、警視庁機動隊などによる反対運動つぶしは、弾圧以外の何物でもない。

 沖縄県民の、平和な日常生活を送りたい――「個人」の願いから始まった高江での座り込みが県民全体の怒りとなっているのに、安倍政権は権力を最大限使って押しつぶそうとしている。戦前の日本と重なって見えるのは、私だけではないだろうと思う。

 ピースあいちの常設展にも寄ってみた。前回訪れた時、ロビーの机の上に置いてあったのが、金沢市に住む当時10歳の子どもが、豊田市に住む元トヨタマンのおじいさんから戦争体験を聞き書きしたスケッチブックだ。夏休みの宿題だった。

ピース写真3


 おじいさんは、召集されフィリッピンの戦場へ行かされたが、幸い復員できた。この話は、ブログ「トヨタで生きる」にも紹介した(2014年8月23日アップ)。
http://toyotaroudousya.blog135.fc2.com/blog-entry-1509.html

 その宿題が評判になり、本として出版された。中日新聞にも紹介された。図録『私の8月15日』と「おじいちゃん、戦争の話を聞かせてください。」の2冊の本を買った。

 ピースあいちは、維持するのはボランティアとカンパだと聞いた。「まだ大変ですのでカンパもよろしく」といわれたので、カンパしてきた。

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 この記事は、9月4日にアップする予定でしたが、都合により前日にアップしました。
戦争と平和 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2016/09/03 15:44

◎さるすべりと憲法

 「暑い、暑い」を連発した8月が終わり、やっと9月になりました。8月の街をプリウスで走っていると街路樹のピンクのさるすべりが暑さを和ませてくれました。ハスのピンクといい、花はピンク色がいい。

 ある人がネットで書いていました。「娘(5歳)が、『ねぇママ! あのピンクのお花、食べられないの?!』。さるすべり、わたしも大好きですが、まさか食べたいとは思ったことありませんでした。活用法あるのかな~♪」

 心を和ませてくれるこの文章を書いたのは、「安保関連法案に反対するママの会」をフェイスブックで呼びかけた京都大学大学院生の西郷南海子さん。3人の子どもを育てながら教育哲学者・デユーイの研究をしています。

 その西郷さん、8月27日に岐阜で開かれた「哲学カフェdeぎふ」主催の「さて、これからどうするこの日本」のパネリストとして参加したといいます。名古屋にも何度も来ており、このブログ「トヨタで生きる」でも紹介しました。

 3人の子どものうち、1人を背中に背負い、もう1人を抱っこしてマイクを握り、安保法制反対を呼びかけた西郷さん。母親、いや、ママは強しを見て、感動しました。

 岐阜での集会では、同じようにブログで紹介した名古屋大学の愛敬浩二法学部教授もパネリストとして参加していました。愛敬教授は、憲法違反の集団的自衛権の行使を盛り込んだ安保法制に反対して「立憲デモクラシー」を呼びかけた1人でもあります。

 集会は、参院選挙で野党統一が実現し、大きな成果を上げる一方で、改憲勢力が3分の2を占める中で、「今後どう対処すべきか」を議論したといいます。

さるすべり2


 戦後70年の昨年-2015年の安保法制反対のたたかいは、日本の戦後史に大きな足跡を刻みました。その1つは、ママの会やシールズ、学者の会など、市民が政治を変えようと立ち上がり、「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」を結成したことです。

 2つ目は、その「市民連合」の後押しで民進党、日本共産党、社民党、生活の党の野党4党が参院選で野党統一候補を立てるという戦後政治史で、初めての共闘体制ができたことです。1人区の11選挙区で勝利するという大きな成果をあげました。

 3つ目は、憲法、とりわけ9条が国民のなかにしっかりと足場を持っているということを改めて見せつけたことです。安倍政権が、歴代自民党政権がしなかった集団的自衛権の行使を認めたことに、国民から澎湃(ほうはい)として怒りの声があがりました。

 戦前の侵略戦争の多大な犠牲の上に花咲いたのが現在の憲法です。侵略戦争をすすめる柱となった、いかつく、恐ろしい戦前の大日本帝国憲法とは、まったく違った顔、形になりました。

 酷暑でへばりそうになりながら、この8月、けなげに咲くさるすべりの和やかさ、さわやかさ、力強さを感じながら考え続けました。
戦争と平和 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/09/03 08:52

◎憲法学者が安倍政権にふたたび喝!

 安倍政権が提出した安保法制(戦争法)を国会で審議中の昨年6月、衆院憲法審査会で、自民党が推薦した3人の憲法学者は、同法が集団的自衛権の行使を認めていることについて憲法違反と断定し、同党にショックを与えました。

 その1人の長谷部恭男・早稲田大学教授が「しんぶん赤旗」日曜版(8月28日号)のインタビューに応じ、安倍政権がすすめようとする憲法改悪を厳しく批判しています。

日曜版 長谷部教授
(長谷部恭男教授のインタビューが掲載された「しんぶん赤旗」日曜版、8月28日号)

 長谷部教授は、安倍政権は参院選中に憲法にふれず、もっぱら「アベノミクス」を訴えていたことをあげ、改憲勢力が3分の2を占めたからといって、「改憲に向けて有権者のマンデート(信任)を受けたなどとはとてもいえません」と強調します。

 その安倍首相が開票日の翌日に、「いかにわが党の案(自民党改憲案)をベースにしながら3分の2を構築していくか。これがまさに政治の技術だ」とのべたことについて長谷部教授は、「民意とは尊重すべきものではなく、操作の対象だ」という国民を見下した考えがうかがえると指摘します。

 さらに、日本国憲法は「すべて国民は、個人として尊重される」(13条)とあるのは、「国民1人ひとりを、どう生きていくかを考える存在として国は扱いますよという考えです」と憲法のなかでも重要な条項だと強調します。

 ところが自民党の改憲草案は、「個人」を「人」に変えたように、憲法の「大事な原理を骨抜きするもの」だと批判しています。

 長谷部教授は、オーストラリアに本部を置く経済・平和研究所(IEP)が世界163カ国の安全度をランク付けした「2016年の世界平和度指数」を発表したことを紹介。

 日本は安全な方から9番目なのに、自衛隊が派遣されている162番目の南スーダンに、安倍政権は「駆けつけ警護」などの新たな任務を課し、武器使用の拡大をしようとしていることについて、痛烈に批判します。

 「安保法制で世界中に自衛隊を派遣してアメリカの戦争に協力するなんて愚の骨頂です」

15 集団的自衛権批判
(長谷部恭男教授らが共同執筆した『集団的自衛権の何が問題か 解釈改憲批判』=岩波書店)

 その上で、「憲法の平和思想、9条の思想は国民に根付いています」とのべ、新聞の世論調査でも憲法9条を変えるべきだという人がだんだん少なくなり、守るべきだと言う人は増えて、「朝日」(5月3日付)では約7割ですと指摘。「そう簡単に、安倍首相の思い通りにはいきません」とのべます。

 長谷部教授は、東大で21年間教鞭をとった後、早稲田大へ移りました。元・国際憲法学会副会長で「立憲デモクラシーの会」の呼びかけ人です。いわば憲法の大御所が、憲法9条を変えようとする安倍政権に、安保法制を違憲だと断じたのに次いで、ふたたび喝を入れたものです。
戦争と平和 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/09/01 14:33

◎豊田市で平和を願う戦争展 1100人が参加

 第29回豊田市平和を願う戦争展が、戦後71年目の8月20(土)、21(日)の両日、豊田市産業文化センターで開かれ、約1100人が参加した。豊田市民の8月の平和の行事としてすっかり定着した。

 例年の「豊田とトヨタの戦争」の展示に加え、戦争体験を聞く会や愛知県平和委員会事務局長の矢野創さんの「隠された愛知の軍事産業の実態」の講演など、例年以上に興味深い内容になった。

戦争展1


 参加者も子ども連れの若い人が目立った。展示を見たり、資料や関連書籍のコーナーでは座り込んでじっくり見ている人が多い。

 矢野さんの講演は、私にとって衝撃的だった。工業出荷高日本1の愛知県は、モノづくり大県・愛知と言われてきたが、兵器づくり大県でもあるということだ。国産旅客機MRJで有名な三菱重工だが、愛知県はF15戦闘機やF35の生産、修理などの中心になっている。

戦争展2
(愛知県平和委員会事務局長の矢野創さんの講演。以下は、矢野さんのスライドから)

 ほかにも小火器を作っている豊和工業、砲弾をつくる日油、新日鉄住金も潜水艦様の鋼板、トヨタも大型の特装車をつくっている。

 2014年4月、安倍内閣は、軍需産業の育成のために、武器輸出3原則を「防衛装備移転3原則」に変える閣議決定をした。武器輸出の原則禁止をはずしたのだ。

戦争展3

戦争展4


 戦争法(安保法制)を強行し、参院選で自民党、公明党など改憲勢力が3分の2を占めたもとで、軍需産業は一大産業にふくれあがるのではないか、という危惧を持った。

 それに合わせ日本の軍事費も増えている。5兆円を突破したといわれるが、予算は単年度方式なので、総額がどれくらいなのかわかりにくくなっているという。今は5年ローンでアメリカから兵器を買っているが、これを安倍政権は10年にしたいと考えている。衝撃的な事が多かった。もっと知らねばと思う。

戦争展5


 同時開催で、ミニコンサートやアニメ「はだしのゲン」の上映会が行われていて、こちらも多くの親子連れが参加していた。平和を願う市民の思いは、いっそう強くなっていると思った。
戦争と平和 | コメント(3) | トラックバック(0) | 2016/08/23 12:01

◎被爆国の首相なのか

 オバマ米大統領が初めて米大統領として広島市の平和記念公園を訪れた5月27日。寄り添うように安倍首相がいました。今度こそ核廃絶をと願う被爆者や日本国民。その願いを安倍首相は裏切りました。

 安倍首相は8月20日、リオデジャネイロ・オリンピックの閉会式に向かう羽田空港で、記者団に質問に答えました。オバマ大統領が検討している核兵器の先制不使用政策について、「抑止力を弱める」として反対する意向を、ハリス米太平洋軍司令官に伝えたとする米紙報道について、「アメリカの核の先制不使用についてのやりとりは全くなかった」などと否定しました。

 ワシントン・ポスト紙が15日報道し、日本のメディアが16~17日にいっせいに伝えました。こんな重大なことを、記者団に問われて数日後に否定するという理解しがたい態度です。

 外務省高官も、「米国の抑止力は弱体化する」とのべており、安倍政権が核兵器の先制不使用政策に懸念を持っていることには変わりありません。日米安保条約で、アメリカの“核の傘”の元にいることを当然視する姿勢では、核廃絶のイニシアチブを取ることはできないでしょう。

 それを明確に示したのが、スイス・ジュネーブの国連欧州本部で開かれていた核軍備の縮小・撤廃に向けた多国間交渉の前進を図る国連作業部会です。最終会合の19日、国連総会に対し、核兵器禁止条約の交渉を2017年に開始するよう「幅広い支持をもって勧告した」との報告を、賛成多数で採択しました。

 ところが日本は、棄権したのです。賛成はメキシコなど68カ国、反対は米、露、英、仏、中をふくむ核保有国など22カ国、棄権は日本など13カ国でした。日本が棄権するのは、アメリカに配慮した段階的な核軍縮という立場からです。

 これが唯一の被爆国の姿勢でしょうか? 広島でオバマ大統領に寄り添っても、ポーズだけだったといわれてもしかたないでしょう。なぜ、被爆者の願いにこたえて日本が核兵器廃絶のイニシアチブをとれないのでしょうか? 情けなくなります。

平和行進・豊田
(豊田市での平和大行進=6月2日)

 地球上にある約1万6400発の核兵器。核兵器の廃絶をめざす2016平和大行進が、5月6日に東京・夢の島を出発した後、6月2日に豊田市に入り、広島に向かいました。

 広島で開かれた原水爆禁止世界大会では、「被爆者が訴える核兵器廃絶国際署名」(ヒバクシャ国際署名)に取り組むことを決めました。日本被団協が今年3月に呼びかけたものです。

 署名用紙に添えられた「被爆者の訴え」では、「核兵器は、地球を死の星にする悪魔の兵器です」「あなたの署名が、核兵器廃絶を求める何億という世界の世論となって、国際政治を動かし、命輝く青い地球を未来に残すと確信します」と呼びかけています。

 国際署名の提出先は毎年の国連総会です。次回の核不拡散条約(NPT)再検討会議が開かれる2020年8月までに、世界数億人を目標にしています。2020年8月といえば東京オリンピックが開かれる時です。核廃絶に向けて、草の根からの運動を強めましょう。
戦争と平和 | コメント(1) | トラックバック(0) | 2016/08/21 11:28

◎押し付け憲法論は成り立たない 「9条は幣原首相提案」

 安倍首相ら改憲勢力が、憲法9条の改悪をめざすのは、アメリカ占領軍(GHQ)から押し付けられたというのが最大のいい分です。ところが9条は幣原喜重郎(当時)だったことが新たな資料で明らかになりました。

 堀尾輝久・東大名誉教授が新たな資料を見つけたもので、「しんぶん赤旗」や東京新聞が報道しています。堀尾氏は、国会図書館所蔵の憲法調査会関係資料を探し、今年1月、英文の書簡と調査会による和訳を見つけました。

 書簡は、1957年に改憲の議論を始めた憲法調査会の高柳賢三会長の質問に対し、GHQの最高司令官だったマッカーサーが回答したものです。58年12月15日付で、「戦争を禁止する条項を憲法に入れるようにという提案は、幣原首相が行ったのです」と明記していました。

赤旗 マッカーサー手紙
(9条の提案は、幣原首相が行ったものというマッカーサー司令官の手紙の訳=「しんぶん赤旗」、8月19日付から)

 マッカーサーは、「提案に驚きましたが、首相にわたくしも心から賛成であると言うと、首相は、明らかに安どの表情を示され、わたくしを感動させました」とのべています。

 マッカーサーは、これに先立つ12月5日付の書簡で、「(9条は)世界に対して精神的な指導力を与えようと意図したものであります。本条は、幣原首相の先見の明と経国の才志と英知の記念塔として、朽ちることなく立ち続けることでありましょう」(堀尾氏訳)とたたえています。

 幣原首相(1872~1951年)は、外相を4回務め、国際協調、軍縮路線を主張したとされます。終戦後の45年10月から首相となり、現憲法の制定にかかわりました。

 9条は、日本をほろぼすことになった戦前のアジア・太平洋戦争の痛苦の反省が土台になっています。自由民権運動以来の反戦・平和の思想が脈々と国民のなかにあり、これに命をかけて侵略戦争反対をかかげた日本共産党の不屈のたたかいがありました。

 さらに、フランス革命やアメリカ独立戦争など、近代の自由と民主主義の確立、日独伊との反ファシズムとのたたかいなどが大きく合流し、外相経験者だった幣原首相に大きな影響を与えたのではないでしょうか。

 実際、幣原首相は1946年3月27日、自身の内閣がつくった「戦争調査会」の開会あいさつで、「世界は早晩、戦争の惨禍に目を覚まし、結局私どもと同じ(戦争放棄の)旗を翳(えい)して、遥(はる)か後方から付いてくる時代が現れるでありましょう」とのべています。

2015豊田戦争展
(日の丸の旗のもとに、侵略戦争に駆り立てられていった戦前。2015年の豊田市戦争展の展示から)

 明治維新から終戦までの78年間は、戦争に次ぐ戦争の時代でした。アジア・太平洋戦争では、日本で320万人以上が、アジア・太平洋では2000万人以上が犠牲になりました。

 戦後71年、9条のもとで日本はだれ1人、戦争で殺し、殺されることはありませんでした。幣原首相と9条の先駆性を雄弁に物語っています。

 これを、「GHQの押し付け」といって、憲法違反の集団的自衛権の行使を盛り込んだ安保法制(戦争法)につづいて、憲法9条の明文改憲をねらい、「国防軍」などをつくろうという安倍政権のたくらみは、幣原首相や国民の願いを踏み潰すものでしょう。

戦争と平和 | コメント(8) | トラックバック(0) | 2016/08/20 10:32

◎シールズから「私たちが受け継ぐ7つの成果」 学者の会

 安倍政権の違憲の安保法制(戦争法)とたたかったシールズが8月15日に解散しましたが、「学者の会」が「私たちが受け継ぐSEALDsの7つの成果」を発表しました。

 「学者の会」は、大学ではシールズの教師という立場ですが、いっしょに運動してきた仲間でもあります。学者の目から、シールズがどんなに豊かな運動をしてきたかをまとめ、それを引き継ごうという思いと決意が伝わってきます。7つの項目は――。

(1) 主権者としての「市民」の政治参加を活性化し、民主主義を刷新した
(2) 相互にリスペクトしあう個人の連帯が、立憲主義そのものを体現した
(3) 長らく守勢に立たされつづけてきた平和主義が、力強く息を吹き返した
(4) 市民と野党との応答関係を築き、参議院選挙において野党共闘を実現した
(5) 市民の後押しする野党共闘ならば、小選挙区でも勝負になることを明らかにした
(6) 東京だけでなく全国各地において、学生と学者らの協同に端緒をつけた
(7) 立憲民主主義を守るだけでなく、発展させる指針を示した

20151209 野党と市民連合
(野党=左側=と「学者の会」やシールズなどの団体との意見交換会=2015年12月9日)

(1) の「主権者としての『市民』の政治参加を活性化し、民主主義を刷新した」では、次のように指摘しています。

……
 SEALDsは「主権者運動」としての市民の政治参加を活性化しました。「言うこと聞かせる番だ、俺たちが」「選挙へ行こうよ」など主権者意識に根ざしたコールのなか、抗議行動から選挙への取り組みへと直結する新しい市民運動のうねりがつくられました。それはまさに民主主義の刷新そのものでした。
……

 さすが学者です。フィールドワークと理論化で、受け継ぐべきものを明確にしています。

 「学者の会」が呼びかけた「『戦争する国』へすすむ安全保障関連法案に反対します」には、これまでに1万4297人の学者・研究者が賛同しています。「会」の発起人は、廣渡清吾・専修大学教授法・日本学術会議前会長や益川敏英・京都大学名誉教授・ノーベル賞受賞者ら7人です。

 全文は、「会」のホームページで読むことができます。
http://anti-security-related-bill.jp/ann.html#ap
戦争と平和 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/08/17 19:39

◎時代を変えた シールズが解散

 シールズ(自由と民主主義のための学生緊急行動)が71年目の終戦の日の8月15日、解散しました。昨年5月3日の結成から1年2カ月余り。安倍政権が強行した安保法制(戦争法)のたたかいで、新鮮で圧倒的な存在でした。

 解散にあたって動画「TO BE」をネットで公開しました。メンバーの1人の牛田悦正さんが、ラップでメッセージを伝えました。
http://sealdspost.com/tobe/

……
 ♪祈る8・15
 千鳥ヶ淵で手を合わせる
 眩い黒い闇の中で想う
 この土地の先人たちの死
……

 安倍首相は、侵略戦争をたたる靖国神社へ玉串料を納めました。もう1つ、国立の戦没者墓苑があるのが千鳥ケ淵です。

……
 71もの月日に耐えた価値
 墓標に刻まれた非戦の二文字は
 紛争地 丸腰で闊歩する
 現代の侍を生んだんだ
 名はArticle9
……

 戦争を放棄した憲法9条(Article9)は、71年の月日に耐えた価値があるとたたえます。その上で、「we don't want ABEの改憲」と主張、「終わってる? なら 始めるだけ Once Again」と語ります。

 そして、「先人のように 背筋伸ばし 前方を見つめる」と歌います。

100 シールズ
(シールズの国会前行動=2015年9月4日)

 私は、安保法制の参院での審議が緊張していた昨年9月4日、国会前でのシールズの行動を目の当りにしました。次々と持ち込まれるハンドマイク。メンバーの奥田愛基さんら学生たちが、「戦争法廃案!」などとコールしているさまを見て、「彼らは時代を変えている」と感動しました。

 55年前の1960年の安保反対闘争。安倍首相の祖父の岸信介・元首相が日米安保条約を強行しようとした際、一部の学生たちはゲバ棒を持ち、国会へ突入しました。そして、安保条約成立、感傷的に語られる“挫折”-。

 シールズは、正反対でした。暴力を否定し、文字通り、「民主主義って何だ?」「これだ」とコールしたように。体から湧き上がる民主主義で、集会、デモ、主張、プラカードなどの風景を変えました。

 昨年9月19日の参院での自民、公明の強行採決にも挫折しませんでした。それどころか、コールしていた「野党共闘」の実現のために、学者の会やママの会など新たな市民運動とともに野党の背中を押したのです。

70 シールズ
(シールズの国会前行動=2015年9月4日)

 そして参院選。32ある1人区すべてで、野党統一候補が実現するという戦後日本の政治史上、初めての事態が生まれました。そのうち11選挙区で勝利。安倍首相は側近たちに、「『勝ってなんかいないからな』と吐き捨てるように語った」と報じられました。

 学生たちが学ぶのは4年間です。解散はやむをえないでしょう。しかし、彼らは、これからも、「先人のように 背筋伸ばし 前方を見つめる」でしょう!
戦争と平和 | コメント(3) | トラックバック(0) | 2016/08/16 10:38

◎人肉を食べた軍隊

 作家、大岡昇平の『野火』は、戦争文学にとどまらず、戦後文学の金字塔だといわれる。終戦が迫った1944年11月、フィリッピンのレイテ島で、結核になった田村一等兵は、わずか6本の芋を渡されて野火が燃える原野をさまよう。

 もうろうとした飢えのなかで、自分の血を吸ったヒルまで食べる。ころがっていた日本兵の死体の臀部の肉がないことに気付く。ある一等兵に、「ニューギニアで人間を喰ったって、ほんとですか」と聞く。一等兵は、「まさか、ってことにしておこう…」と答える。

 剣も拳銃も持っていなかった将校に、おびただしい蠅がたかっていた。彼は手で蠅を払いながら、「天皇陛下様。大日本帝国様。何とぞ、家へ帰らして下さいませ。飛行機様。迎えに来い」と頭を地面につけておじぎする。

 田村は、死体をおおったヒルを除けながら、右手で剣を抜いた。
 「私は誰も見ていないことを、もう一度確かめた。その時変なことが起った。剣を持った私の右の手首を、左の手が握ったのである」

12 野火 ビラ
(映画「野火」のビラ)

 戦後70年の昨年、塚本晋也主演・監督の映画「野火」が公開された。映像の迫力はすさまじかった。弾丸が撃ち込まれた兵隊が吹っ飛ぶ、もぎ取られた片腕が転がり落ちる、死体に蛆虫…。

 狂気の戦場を描き尽くし、正視に耐えない。戦場の飢餓感に吐き気が襲う。精神がおかしくなりそうだった。精神を安定させるために静かなカフェに入った。そして思った。「戦争映画は、ここまでリアルに描いてこそ本物だろう。たんなる弾の射ち合いだけでは、真実に迫れない」。

 歴史学者で一橋大学の故・藤原彰教授の著作に『餓死した英霊たち』がある。アジア・太平洋戦争で軍人・軍属は約230万人が亡くなったが、栄養失調による餓死者など広義の餓死者数を140万人と推定している。何と、約6割が餓死していることになる。

30 餓死者 割合
(「餓死(戦病死)した兵士の地域別割合」=「しんぶん赤旗」日曜版、8月14日号から)

 補給を無視し、戦線を中国からアジア、太平洋諸島へと拡大していった侵略戦争の実態と無謀さを示すものだ。

 「しんぶん赤旗」日曜版(8月14日号)が、『餓死した英霊たち』を基にして地図「餓死(戦病死)した兵士の地域別割合」を作成している。フィリピン80%、東部ニューギニア90%…。

戦争と平和 | コメント(3) | トラックバック(0) | 2016/08/15 09:32

◎戦後71年 DVDで「母と暮らせば」を見た

 今日は8月14日。トヨタ自動車の本社工場など豊田市に、核模擬爆弾3発が米軍によって落されて71年目になります。長崎に落された原爆と同型の核模擬爆弾です。明日15日は、戦後71年目の終戦の日です。

 DVDで、山田洋二監督の「母と暮らせば」を見ました。長崎の原爆で亡くなった医学生・浩二(二宮和也)が、母親で助産婦の伸子(吉永小百合)の前に、幽霊になって現れるファンタジーです。浩二の恋人だった町子(黒木華)は、たまたま腹痛で軍事工場を休んで死をまぬがれました。

 浩二が亡くなって3年。小学校の教師となった町子は、伸子の家に通い続けます。けなげな町子を見て、伸子や浩二は、浩二のことを忘れて結婚することをすすめます。ある日、町子は片足が戦争で不自由になった男性を連れてきます…。

 山田監督は、米軍のヤミ商品を叔父から入手する伸子の日常生活など、戦後の混乱を丹念に描きながら、原爆を投下された長崎の人々の暮らしを見つめます。この作品の原案は、作家の故・井上ひさしさん。広島を舞台にした戯曲「父と暮らせば」の作品がありますが、長崎を舞台にした作品を構想しながら果たせませんでした。

 山田監督は、井上さんの意思を引き継いで、戦後70年の昨年12月に、この映画を劇場公開したものです。終戦の年の1945年3月生まれの吉永さんは、広島や長崎、福島でつくられた詩を朗読していることでも知られています。

 山田監督と組んだ「母と暮らせば」は、熱演した吉永さんの代表作となるでしょう。71歳とは思えない若々しさです。戦後80年、90年、100年とDVDで上映される作品になるでしょう。

70 母と暮らせば


 先日、女優の大竹しのぶさんのエッセイ『まあいいか』を読みました。このなかの1篇に、「8月、蝉の声に想うこと」があります。井上ひさしさんが亡くなる前におっしゃった言葉を思い出す、と書いています。

 「僕は病気で死ねるから幸せなんですよ。ただ訳もわからず、戦争で亡くなってしまった人たちのことを考えたら」

 畳の上やベッドの上で、普通に病気で亡くなることができるようになった戦後71年。原爆の閃光で一瞬のうちに、訳も分からずなくなった浩二の悲しみとそれを背負った母親・伸子のことを静かに考えさせる作品でした。
戦争と平和 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/08/14 08:47

◎安保法制=戦争法 8割が理解進まず

 毎月、豊田駅前をはじめ全国各地で行われている「19日行動」「3日行動」。いずれも、安倍政権が昨年9月19日に参院で強行採決した安保法制=戦争法の廃止などを求める行動です。

 「3日行動」は、作家の沢地久枝さんが呼びかけている「アベ政治許さない」の紙のボードをかかげて訴えています。こうした草の根の運動などが大きな力を発揮していることを実感したのがメディアに記事を配信している時事通信の世論調査です。

 それによると、安全保障関連法(安保法制=戦争法)の内容について理解が進んだか尋ねたところ、「進んだとは思わない」と答えた人が76・0%に上り、「進んだと思う」との回答は9・0%にとどまりました。

 また、同法成立により、日本が海外の紛争に巻き込まれる危険が「高まったと思う」との回答は55・9%で、「高まったとは思わない」は27・1%でした。

20160419 豊田駅前
(豊田駅前での「19日行動」=今年4月19日)

20160803 豊田駅前
(豊田駅前での「3日行動」=今年8月3日)


 安倍政権が強行した安保法制=戦争法への怒りは、国民のなかに深く広がっています。調査は8月4日から7日間、全国の成年男女2000人を対象に実施し、有効回収率は64・3%でした。
戦争と平和 | コメント(1) | トラックバック(0) | 2016/08/13 10:16

◎地球上に1万6400発の核兵器

 真っ赤なキノコ雲が、空に向かってむくむくと上がっていく…恐怖の夢を見たことがあります。地球上にある1万6400発の核兵器。オバマ米大統領が、米大統領として初めてヒロシマを訪問(5月27日)しましたが、核廃絶の道筋はいまだについていません。

 被爆71年に当たる8月6日のヒロシマに続いて9日にはナガサキで平和式典が開かれました。被爆者を代表して被爆者団体「長崎県被爆者手帳友の会」の会長の井原東洋一さん(80)が「平和の誓い」をのべました。

 井原さんは、式典に参加した安倍首相らに、「わが国は、過去を深く反省し、世界平和の規範たる『日本国憲法』を作りこれを守って来ました。今後さらに『非核三原則を法制化』し、近隣諸国との友好交流を発展させ、『北東アジアの非核兵器地帯』を創設することによりはじめて、平和への未来が開けるでしょう」と訴えました。

 また、「国会及び政府に対しては、日本国憲法に反する『安全保障関連法制』(注、戦争法のこと)を廃止し、アメリカの『核の傘』に頼らず、アメリカとロシア及びその他の核保有国に『核兵器の先制不使用宣言』を働きかけるなど、核兵器禁止のために名誉ある地位を確立される事を願っています」と呼びかけました。

 被爆者のこの訴えを安倍首相は、どう受け止めたのでしょうか? 井原さんの全文を紹介します(毎日新聞から)。

50 核実験


……
 幼い頃「神の国日本、ほしがりません勝つまでは」などと教えられて過ごした私は、相次ぐ空襲に逃げまわり、防空壕(ごう)で息をひそめ、日本の敗戦は近いと思っていました。

 1945年8月9日、午前11時2分、アメリカが投下した一発の原子爆弾は、ここ浦上の上空およそ500メートルで爆裂し、長崎の町は、一瞬にして廃墟となりました。

 原子雲の下は、想像を絶する修羅場となり、日本人だけでなく、強制連行された中国人や動員された朝鮮人、戦時捕虜のアメリカ人や諸国の人々を含むおよそ7万4000人が無差別に殺され、虫や鳥や植物などすべての生き物も死滅しました。

 私は当時9歳、爆心地から6.5キロメートルの地で大木に登り枝落としの最中に、巨大な火の玉に目が眩(くら)み、耳をつんざく大音響と猛烈な爆風で吹き飛ばされ気を失いました。

 翌日から、救護活動に参加した母や姉、兄などの体験で、惨劇の大きさを知りました。その母も姉も兄も歯ぐきから血を出し、髪が抜けるなど、長い間の苦しみに耐えながらも、次々に原爆症で亡くなりました。

 広島で歓迎されたオバマ大統領は、「空から死が降ってきた」と叙情的に表現されましたが、広島のウラン型原爆に対して長崎にはプルトニウム型原爆が投下された事から、私には2種類の原爆による実験ではなかったのかとの思いがあります。

 被爆した町は、国際的な支援のもとに復興しましたが、私たち被爆者は71年もの間、毎日が苦悩の中にあり、2世、3世もその憂いを引き継いでいます。政府には「原爆症」や「被爆体験者」の救済について、司法判断に委ねず、政治による解決を望みます。

 しかし、私たちは絶対悪の核兵器による被害を訴える時にも、日中戦争やアジア太平洋戦争などで日本が引き起こした過去の加害の歴史を忘れてはいません。

 わが国は、過去を深く反省し、世界平和の規範たる「日本国憲法」を作りこれを守って来ました。今後さらに「非核三原則を法制化」し、近隣諸国との友好交流を発展させ、「北東アジアの非核兵器地帯」を創設することによりはじめて、平和への未来が開けるでしょう。

 国会及び政府に対しては、日本国憲法に反する「安全保障関連法制」を廃止し、アメリカの「核の傘」に頼らず、アメリカとロシア及びその他の核保有国に「核兵器の先制不使用宣言」を働きかけるなど、核兵器禁止のために名誉ある地位を確立される事を願っています。

20 各国の核保有数
(『No Nukes』(講談社)から)

 科学の発展が人類の幸せに貢献せず、資源の独占と貧富の差が拡大する限り、世界の不安定は益々厳しくなるでしょう。

 オバマ大統領が率先して示された「核なき世界実現」への希望は、人類の英知による恒久平和をめざすものであり、「非核の国々による核兵器禁止のための国際的流れ」に共通するものと思います。私たちは、オバマ大統領が「最後の被爆地長崎」を訪問されるよう強く願い、歓迎いたします。

 私たち被爆者は、「武力で平和は守れない」と確信し、核兵器の最後の一発が廃棄されるまで、核物質の生産、加工、実験、不測の事故、廃棄物処理などで生ずる全世界の核被害者や、広島、福島、沖縄の皆さんと強く連帯します。

 長崎で育つ若い人々とともに「人間による安全保障」の思想を継承し、「核も戦争もない平和な地球を子供たちへ!」という歴史的使命の達成に向かって、決してあきらめず前進することを誓います。

 地球市民とともに核兵器廃絶の実現を!! ナガサキ マスト ビー ザ ラスト
……

 この日、長崎市で開かれた原水爆禁止2016年世界大会・ナガサキデ―集会では、核兵器廃絶実現へ「ヒバクシャ国際署名」を広げること。ストックホルムアピール署名のように世界規模の運動にしようと呼びかけました。

戦争と平和 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/08/10 09:24

◎ルモンド紙 稲田防衛相任命は安倍首相の権力強化

 このブログ「トヨタで生きる」では、「侵略戦争と言えない稲田防衛相」をアップ(8月6日)しました。そこで書いた稲田氏の侵略戦争についての歴史認識や靖国神社参拝問題などは、フランスのルモンド紙(8月3日付)の内容と大筋で一致していることに驚きました。

 内田樹・神戸女学院大名誉教授は、ルモンド紙の記事を翻訳して同名誉教授のホームページに掲載し、こうのべています。

 「こういうごく当たり前に『鳥瞰的』な記事がどうして日本の新聞は書けないのでしょう。報道内容そのものに誤りはないけれど、それだけ読んでも文脈がわからない記事で紙面は埋め尽くされています」

 内田名誉教授が翻訳した、ルモンド紙の記事の要約は次の通りです。

30 自民 憲法改正案
(自民党の憲法改正草案。天皇を元首にしようとしています)

……
 日本の首相安倍晋三は側近を彼の政府に登用したが、とりわけナショナリスト的立場で知られる女性を防衛相に任命することによって彼の権力掌握を一層強化しようとしている。

 稲田氏にはこの分野での経験がないが、自衛隊の海外派遣についての新しい枠組みを定めた2015年採択の安全保障関連法を運用するというデリケートな仕事を委ねられることになる。

 経験不足にもかかわらず稲田氏が登用されたのは、彼女が首相の側近であり、「お気に入り」だからである。安倍氏は彼女を後継者候補とみなしているようであるが、それは二人のイデオロギー的な近接性による。

 彼は稲田氏を自民党の政調会長に2014年に任命した。通常経験豊かな議員が任ぜられるこのポストに、稲田氏は2012年から14年まで行政改革担当相を勤めたあとに就いた。

 2005年に福井県から初当選したこの57歳の弁護士は安倍氏に近いそのナショナリスト的立場によって知られている。政界に入る前、彼女は1945年の沖縄戦の間の日本兵士のふるまいについての作家大江健三郎の著書によって名誉を毀損されたと感じた日本軍将校たちの弁護活動をしていた。

 議員になってからは歴史修正主義の立場を繰り返し表明し、1937年の日本軍による南京大虐殺や、『慰安婦』の存在を否定している。2015年、終戦70年に際しては、謝罪しないと繰り返しアピールした。

 ウルトラナショナリストの組織である日本会議のメンバーであり、日本のアジアでの行動を「侵略」とすることを否定しており、戦争犯罪人を含む戦死者を祀っているために当否について議論の多い靖国参拝を擁護している。

 稲田氏はまた憲法改定についても意欲的である。こういった言動は中国、韓国との外交関係を必ずや紛糾させるであろう。
……
戦争と平和 | コメント(3) | トラックバック(0) | 2016/08/09 09:47

◎独裁者、秀吉の最期

 NHKの大河ドラマ「真田丸」で、天下人・豊臣秀吉の「終焉」(第31回)が8月7日、放送された。「秀頼のことをよろしく」と徳川家康などに何度も頼みこむ一方で、側近に「家康を殺せ」と命令する。

 しかし、この日の放送をふくめ病に侵された秀吉の最期を、脚本家の三谷幸喜がこれでもか、これでもか、と描く。秀吉役の小日向文世の演技は秀逸だ。権力者の冷酷さと失禁する哀れさとを演じ分けた。

 それにしても、明の支配を夢見て2度の朝鮮出兵、千利休への切腹命令、後継者として関白の地位を譲っていた、甥の秀次を謀反の疑いで切腹を命じ、一族を三条河原で斬首…。

 石田三成や真田信繁(幸村)ら側近の諫めも何の効果もなく、これが農民から登りつめた権力者かと思うとぞっとした。一度権力を手にすると、自分の息子、幼い秀頼のために盲目的になれるのかー。

70 ステラ 真田丸
(NHKの大河ドラマ「真田丸」。秀吉の臨終の場面=MHKの雑誌「ステラ」から)

 時代は、16世紀の封建時代であり、1人の最高権力者の一言で、どんなこともできる。それを止める人間も組織もない。自由も民主主義も、かけらもない時代であり、支配する者、支配される者が画然と分かれていた。

 この16世紀、明でもフランスでもイングランドでも、世界は皇帝や王が人々を支配していた。人間は生まれながらに自由であり、平等という思想は、18世紀後半のフランス革命を待たねばならなかった。

 日本では戦前、絶対主義的天皇制が人々を支配し、明治維新から1945年の終戦までの78年間は、日清、日露、アジア・太平洋戦争など戦争に次ぐ、戦争の暗黒時代であった。1銭5厘の召集令状(当時のハガキの郵便料金)で、命を奪われた。

 人々が自由と民主主義を獲得したのは、主権在民、恒久平和、基本的人権の保障、議会制民主主義、地方自治などの原則を織り込んだ現憲法を手にしたこのわずか70年間にすぎない。

 憲法を守るのは、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」(憲法99条)とあるように、政治家や公務員であり、国民ではない。ところが安倍政権は、憲法違反の集団的自衛権を盛り込んだ戦争法(安保法制)を昨年9月、国会で強行した。

 憲法にしたがって政治を行う―という立憲主義を破壊すれば独裁者になり、王や皇帝の時代にさかのぼることになる。自民党は、改憲草案(12年4月)で、天皇の元首化や9条2項(戦力の不保持)を全面削除したうえで、自衛隊を「国防軍」にしようとしている。

 安倍首相は、衆院に続いて先月の参院選で改憲勢力が3分の2を獲得したことで、9条などの改憲をねらっている。自民党総裁の任期(2期6年)を延長し、「3期9年」を視野にしている。

 仮にこれが実現すると、安倍首相の任期は、東京オリンピックの翌年の21年9月末となる。長期政権をにらんでいる。安倍独裁政治への道を歩ませてはならないと思う。
戦争と平和 | コメント(3) | トラックバック(0) | 2016/08/08 10:03

◎豊田市平和を願う戦争展 20、21日に産業文化センターで

 戦後71年。今年も戦争展の季節が来た。「第29回豊田市平和を願う戦争展」(実行委員会主催)が8月20(土)~21日(日)、豊田産業文化センターで開かれる。1998年に、180人で始まった戦争展は、昨年は1100人が参加するなど、平和を求める豊田市民のなかに着実に根付いてきた。

 豊田市は、終戦前日の1945年8月14日、軍需工場に指定されたトヨタ自動車の現在の本社工場が、米軍の標的になった。長崎の原爆と同型の核模擬爆弾・パンプキン3発が、同工場と周辺に落とされた。

 それだけに、戦争展では毎年、「豊田とトヨタの戦争」をテーマに展示されてきた。今年も、B29墜落地や陸軍弾薬庫跡、トヨタ疎開工場跡など数多くのものが展示される。

 トヨタの故・豊田英二・元社長は、戦争展のことを知り、核模擬爆弾を投下したB29の機長・ボック氏の手紙や資料、写真を実行委員会に提供し、すべてを公開することを了解した。

 トヨタと関連の30万人以上のみなさんに、ぜひとも戦争展に足を運んでほしいと思う。

2015年豊田戦争展
(昨年の「豊田市平和を願う戦争展」)

 ほかにも、戦争体験を聞く会や愛知県平和委員会事務局長の矢野創さんの「愛知の兵器づくり」の講演などが行われる。同時開催として、平和コンサートやアニメ「はだしのゲン」が上映される。

 豊田の戦争展に先立って、愛知県レベルの「あいち・平和のための戦争展」が8月11日(木)~14日(日)まで名古屋市公会堂で開かれる。

 パソコン、スマホなどの検索で、「豊田市平和を願う戦争展」を入力すると、豊田戦争展のくわしい内容を知ることができる。
戦争と平和 | コメント(1) | トラックバック(0) | 2016/08/07 09:03

◎侵略戦争と言えない稲田防衛相

 安倍首相の内閣改造で防衛相に就任(8月3日)した稲田朋美氏が、日経新聞などのインタビューに応じ、戦前の中国や朝鮮への侵略戦争について、「侵略かどうかは評価の問題だ。一概に言えない」とのべました(日経新聞、8月5日付)。

 記者から、「日中戦争から第2次世界大戦に至るまでの戦争は、侵略戦争か、自衛のための戦争か、アジア解放のための戦争か」と問われて答えたものです。

50 稲田防衛相 栄誉礼 4日
(自衛隊の栄誉礼を受ける稲田防衛相=8月4日)

 恐るべき歴史認識です。侵略戦争でなければ、何というのでしょうか? こうした政治家が防衛相に就任したことで、東アジアでの緊張感をいっそう強めることになるでしょう。

 1995年の終戦50周年にあたって、当時の村山富市首相が出した談話では、「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」とのべました。

 この村山談話では、「植民地支配と侵略」と明確にのべています。稲田氏の今回の発言は、この立場から大幅に後退させるものです。稲田氏は、毎年、終戦の日の8月15日、靖国神社に参拝してきました。

靖国神社
(靖国神社)

 同神社は戦前、国民を侵略戦争に駆り立てるための精神的支柱になった特殊な役割を果たしました。戦後も、東条英機・元首相らA戦犯を合祀しています。併設された軍事博物館の「遊就館」は、侵略戦争を「自存自衛」「アジア解放」のための「正義の戦争」と美化しています。

 こうした靖国神社に参拝し続ける稲田氏は、到底、侵略戦争といえないでしょう。安倍首相の任命責任が厳しく問われます。
戦争と平和 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2016/08/06 14:56

◎豊田駅前で「アベ政治を許さない」のアピール

 作家の沢地久枝さんが呼びかけた毎月3日午後1時に、「アベ政治を許さない」の紙のボードを、国会議事堂前をはじめ全国各地でいっせいにかかげるスタンデングアピールが8月3日、行われた。

 豊田市でも、豊田駅のペデストリアンデッキで行われた。真夏の暑い中、8人が参加した。「安倍さん 政治の独裁化を やめてもらいましょう」「戦争は平和な顔をしてやってくる」など、独自の紙ボードを掲げる参加者もいた。

アベ政治1


 この日、安倍首相は内閣を改造した。記者会見で憲法9条について、「自分の任期中に果たしていきたいと考えるのは当然だ」と明文改憲を当然視した。防衛相に、自民党政調会長だった稲田朋美氏を選んだ。

 稲田氏は、8月15日などに必ず、靖国神社を参拝してきた。同神社は、A級戦犯を祀った上に侵略戦争を「自存自衛」の正義のたたかいだったと描く特殊な神社だ。さっそく中国や韓国などが警戒し、中国は、「歴史問題で強硬路線を取る『右翼』の女性政治家」と紹介している。

アベ政治2


 稲田氏はまた、「長期的には核保有を国家戦略として検討すべきではないか」と発言するなど、ヒロシマ、ナガサキの被爆者を逆なでしてきた。

 参院選で自民党が単独過半数を得たといって、しきりに“安倍1強”を唱えるメディアもあるが、その参院選の比例代表では35・91%しか得票できていない。与党の公明党も加えても49・43%だ。

アベ政治3


 投票した人のかろうじて半数にすぎない。安倍政治が信任されたとは到底いえない。安倍政権は、内閣を改造して暴走を加速させようとしているが、絶対に国民は許さないだろう。

 アピールの途中、夏休み中の3人の少年が興味を持って話かけてきた。未来のある少年たちを、戦争に追い込んではならない。粘り強く続けることが大事だ。来月3日も頑張ろう!
戦争と平和 | コメント(4) | トラックバック(0) | 2016/08/04 10:29

◎イラク参戦は誤りだった 英国の報告書が教えるもの

 日本では参院選の終盤であり、英国ではEU離脱が国民投票で決まった直後だけに、メディアで大きな扱いにならなかった英国の報告書がありました。

 イラク戦争への英国の参戦を調査する独立調査委員会が7月6日、英国が「軍事行動は最終手段ではなかった」などという報告書をまとめ、参戦を決めた当時のブレア英首相(労働党)の判断を厳しく批判したのです。

 イラク戦争の引き金になったのが2001年9月11日の米ニューヨークでの同時多発テロ事件でした。事件の1週間前、家族でアメリカ旅行をし、テロで破壊された世界貿易センタービルの下も歩いていました。

 それだけにブッシュ政権が、テロ事件を契機にアフガニスタン戦争、イラク戦争に踏み切っていくことに大きな懸念を持っていました。イラク戦争は、フセイン政権が大量破壊兵器を隠し持っているというのが理由でした。

 フセイン政府を転覆した後の調査で、大量破壊兵器は見つかりませんでした。この戦争で、一般市民を含む数十万人が犠牲となり、英兵179人、米兵4500人以上が戦死しました。

 英国調査委の報告書は6000ページにおよぶ膨大なもので、国連安保理決議を得ない参戦であり、「法的根拠は十分にはほど遠い」と強く批判しています。

 調査委のチルコット委員長は、報告書の発表で、ブレア政権がイラク政府の大量破壊兵器保有という「欠陥のある情報」を持ち、「正当化できない確信」に基づき参戦を決めたと非難しました。

 また、「あらゆる(軍事)介入の全ての側面は、最大限厳しく算定し、議論し、異論を唱える必要がある」が、こうした措置も取られなかったと語りました。

外務省 イラク
(当時の新聞報道)

 英国以外でも米国、オランダ、オーストラリアなどで検証が行われていますが、日本は12年12月、わずか4ページの検証結果概要を公表しただけです。イラク戦争を当時の小泉政権が支持したことについても誤りだったと認めていません。報告書本体の公表についても、「各国との信頼関係を損なう」として拒否しています。

 アフガニスタン戦争、イラク戦争が、テロ組織ISを生み出す契機になったというのは世界の人々の共通の認識になりつつあります。テロに対して武器で報復する、ふたたびテロ…悪循環をくり返しているだけです。それだけに日本の自民党政権がイラク戦争を支持したことの検証は欠かせないはずです。
戦争と平和 | コメント(3) | トラックバック(0) | 2016/07/23 07:36

◎非核「神戸方式」と潜水艦

 港町・神戸はおしゃれな街といわれる。先日、飲み仲間と訪ねた。繁華街の三ノ宮から中華街の南京町、港のメリケンパーク、ハーバーランドなどを歩いた。真夏の港はさすがに暑かった。

 阪神・淡路大震災から21年目の神戸の街は、高速道路が倒壊するという衝撃的な大震災の爪痕はほとんど残っていなかった。唯一、メリケン波止場の一角に震災メモリアルパークに、破壊された岸壁がそのまま残されていた。

 大きく傾いて波に洗われるままの岸壁を見ながら、いつ起きてもおかしくないといわれる南海トラフ地震とそれによる大津波を考えた。しかし、港の繁栄を見ていると、自分の想像力が欠如しているのがよくわかる。

非核「神戸方式」の碑 2
(「非核『神戸方式』の碑」)

 そこから歩いて10分ほどのところに神戸華僑歴史博物館がある。その建物の前に「非核『神戸方式』の碑」があった。非核「神戸方式」とは、1975年3月に神戸市会(市議会)で、「核兵器積載艦船の神戸港入港拒否に関する決議」が全会派によって決議されたことに始まった。

 神戸港に入港しようとすれば、核兵器を積んでいないことを証明する文書を市長に提出しなければならない。米艦船は、これを拒否しているために40年以上にわたって一度も入港していない。

 神戸港は、非核3原則を国是とした日本で、平和のために大いに貢献してきた。このあと神戸港を一周するクルージング船に乗って、もう1つの神戸港の顔を見ることになった。

神戸と川重、三菱
(川崎重工業の工場と後方には神戸三ノ宮のビル群)

 船は、出航するとすぐ川崎重工業や三菱重工業の工場の裏手を走る。工場の正面からは絶対にうかがうことができない裏面を見せてくれる。巨大なクレーンが並び、それをはるかに凌駕するドックが目の前に見える。

 その時、川重の工場から海に半分沈んだ潜水艦が見えた。黒く光る潜水艦は、今までいたメリケン波止場の華やかさを一瞬のうちに打ち消す迫力をもって迫ってきた。

12 川重 潜水艦
(川崎重工業の工場にあった潜水艦)

 三ノ宮からの至近距離に、潜水艦があるという非日常にうろたえた。三菱重工業の工場では、潜水艦特有の大きなマストが見えた。非核「神戸方式」と潜水艦が同居するという神戸港。おしゃれな街、神戸に潜水艦は絶対に似合わない、と思った。
戦争と平和 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/07/21 09:38

◎「アベ政治を許さない」行動 豊田市駅前

 毎月3日に全国で行われている「アベ政治を許さない」行動が7月3日午後1時から、豊田市駅前のペデストリアンデッキで行われた。「戦争法の廃止を求める豊田市民の会」が主催したものだ。

 この行動は、作家の澤地久恵さんが呼びかけたもので、昨年9月の安倍政権が強行した戦争法(安保法制)は憲法9条に違反している、と粘り強く運動している。

許さない1

許さない2


 日曜日とあって人通りが多く、「市民の会」の女性会員がデザインしたティッシュを配った。ティッシュには、「私たちに未来のために投票を」と次のメッセージが書かれている。

 私たちは無力なんじゃない
 小さな雨粒の一滴が
 川となり やがては 大海原へと
 うねりをつくるように
 その一滴を落とすかどうかだ
 一票が未来を創る
 さぁ 選挙に行こう

 若い人を中心に、多くの人たちが持っていった。

許さない3
戦争と平和 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/07/05 09:20

◎ヒロシマに“核のフットボール”?

 世界を駆け巡ったオバマ米大統領の広島訪問と演説(5月27日)のニュース。大統領の副補佐官は、推敲を重ねたという17分の演説の手書き原稿を公開し、これがまたニュースになりました。

 公開されたのは、「71年前、明るく、雲1つない晴れ渡った朝」の冒頭5行。平和記念公園で読みあげるオバマ大統領のそばで、軍服姿の軍人が黒いカバンを持っていました。被爆者のすぐ近くです。

 カバンは、“核のフットボール”と呼ばれる核攻撃の指令を出すための機材が入っているといいます。TBS系が5月30日に放送した衝撃の事実です。その放送内容は――。

……
 オバマ大統領が先週来日した際、付き添いの軍人が黒い大きなかばんを持っているのがわかります。“核のバッグ”と呼ばれるもので、アメリカ大統領が核攻撃の指令を出すための機材が入っているといわれています。

 今回、オバマ大統領が訪問した伊勢神宮から被爆地・広島まで、カメラは様々な場所で、このおそろしいバッグを捉えていました。

 “核なき世界”の実現や、被爆者と思いを1つにしたオバマ大統領。その裏で、核兵器が今も存在する現実をカメラが捉えていました。大統領に同行する軍人が持っていた黒いバッグです。

 コードネームは、「核のフットボール」。バッグの中には核ミサイルの発射命令を出す通信機器や、大統領本人であることを示す認証コードなどが入っているとされています。今回のオバマ大統領の来日でも、その存在が繰り返し確認されました。

核のフットボール1
(”核のフットボール”と呼ばれる黒いカバンには、核ミサイルの発射命令を出す通信機器や大統領本人であることを示す認証コードなどが入っているといわれます=TBS系の番組から)

 伊勢志摩サミットの初日。G7の首脳たちを少し離れた場所から眺めるカーキ色の軍服の男性。手にしているバッグが核のフットボールと見られます。翌日、サミットを終え、エアフォースワンで岩国基地へ向かったオバマ大統領。今度は、紺の軍服を着た男性が同じバッグを持って大統領のそばについています。この軍人の姿は大統領が広島に到着したときにも…

 スピーチに耳を傾ける被爆者らの後ろにこの軍人は立ち、バッグは平和公園の地面に置かれていました。

核のフットボール2
(ヒロシマの平和記念公園で、オバマ大統領の演説中にも黒いカバンは地面に置かれていました=TBS系の番組から)

……

 広島で核兵器の非人道性にふれながらも、いつでも核攻撃の指令を出せるオバマ大統領。核兵器全廃は、私たちの運動抜きにはありえないことを示す番組でした。
戦争と平和 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/06/05 10:06

◎平和大行進が豊田市入り 核全廃へ決意

 米大統領(オバマ氏)が初めて広島入り(5月27日)し、核兵器の全廃をどのようにすすめるかが世界での焦点になってきた2016年。核兵器の全廃をめざす2016平和大行進が、5月6日に東京・夢の島を出発した後、6月2日に豊田市入りした。

 1958年から始まった平和大行進は、半世紀以上、雨の日も風の日も毎年続けられ、すべての都道府県と7割を超える自治体を通過し、毎年約10万人が参加する。

16大行進1

16大行進2


 世界で初めての被爆地の日本で、原水爆禁止世界大会とこうした平和大行進があってこそ、1986年には世界で約7万発もあった核兵器が1万8000発ほどに減った。

 しかし、「核兵器禁止条約」にアメリカなど核保有国が「核抑止」論の立場から段階的削減を主張し、全廃への道筋が付いていない。オバマ大統領も広島演説で、全廃への具体的提案をしなかった。

 全廃のために、地道な粘り強い平和大行進の重要性がいっそう高まるなか、大行進は5月31日に静岡県から豊橋市に入り、蒲郡、豊川、岡崎、安城を経て豊田市に入った。

16大行進3


 午後6時から豊田市駅マック前広場で集会を開催。参加者の輪の中に、「原爆の火」が輝く。参加者は、核兵器全廃の決意をした後、市の中心部を行進。沿道では高校生が手を振って応援してくれた。


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 豊田市駅前の参号館前まで、40分近く行進した。すっかり暗くなっていた。夜の平和大行進は、豊田市と兵庫県にもう1カ所あるだけで、全国では珍しいという。
戦争と平和 | コメント(4) | トラックバック(0) | 2016/06/04 15:10

◎オバマ大統領は広島で何を語ったのか

 アメリカの現職大統領として初めてオバマ大統領が5月27日、広島を訪れました。新聞、テレビには、オバマ大統領が被爆者を抱きしめる感動的な写真、映像があふれました。

 原爆投下から70年余。余りにも長い年月が流れました。現在も核兵器は世界9カ国に約1万8000発もあります。そのなかでの大統領の広島訪問は、確かに核廃絶の前向きの一歩になったといえるでしょう。平和記念公園でオバマ大統領は約17分演説しました。新聞で全文を読みました。

 「なぜ私たちはここ、広島に来たのでしょうか? 私たちは、それほど遠くないある過去に恐ろしい力が解き放たれたことに思いをはせるため、ここにやって来ました」

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(原爆ドームには、子どもたちや世界の人々が訪れます)

 こう始まって、戦争の起源などにもふれ、「私の国のように核を保有する国々は、勇気を持って恐怖の論理から逃れ、核兵器なき世界を追求しなければなりません。私が生きている間にこの目的は達成できないかもしれません。しかし、その可能性を追い求めていきたいと思います」などと語りました。

 その基調は、大統領就任直後の2009年4月5日、チェコのプラハで次のような語った演説以上のものではありませんでした。

 「核保有国として、核兵器を使用したことがあるただ一つの核保有国として、米国は行動する道義的な責任を持っています。私たちは一カ国ではこの努力を成功させることはできませんが、リードすることはでき、始めることはできます」

 世界に感動を与え、ノーベル平和賞も受賞しました。大統領の8年の任期があと8カ月ほどしか残っていないのに、核廃絶の道筋をリードすることをオバマ大統領はできませんでした。

15 広島2
(平和記念公園にある峠三吉の詩碑)

 なぜでしょうか? オーストリア政府が提唱した「核兵器禁止条約」への賛同は107カ国に広がっています。しかし、アメリカなど核保有国は、「核抑止力」論から「段階的アプローチこそ核軍縮に向けて前進するための唯一の実際的な選択肢」として条約の国際交渉に反対しているからです。

 しかも日本政府は、被爆国でありながら核兵器禁止の国際交渉開始を求める決議案に、この20年連続して棄権しています。賛成する国が圧倒的ななかで、安倍政権も棄権してきたのです。

 言葉や演説で核兵器をなくすといっても、反対の行動をしていては前進しないでしょう。オバマ大統領の広島演説も、メディアや識者が指摘するように、具体的な提案はありませんでした。

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(原爆資料館)

 G7首脳会談に合わせてオバマ大統領が広島を訪問したのは、1時間ほどの短い時間でした。原爆資料館の見学は、そのうちの10分ほどだったようです。オバマ大統領の演説に同席した日本被団協の坪井直代表委員は91歳です。被爆者は高齢化し、残された時間は少なくなっています。

 私は、これまで何度も原爆ドームに一番近いホテルに泊まり、早朝から平和公園を歩いて記念碑を巡り、資料館を見て回りました。原爆ドームを見上げた日々を思い起こし、核廃絶はまったなしであり、具体的行動こそが必要ではないかと考えました。
戦争と平和 | コメント(4) | トラックバック(0) | 2016/05/28 15:46

◎シールズを描いた映画「わたしの自由について」を観た

 3時間に近い、長いドキュメンタリー映画を観た。SEALDs(シールズ=自由と民主主義のための学生緊急行動)の約1年半の運動、生活に密着した「わたしの自由について」(西原孝至監督)だ。

 安保法制(戦争法)反対をかかげて2015年5月3日に20人ほどの学生でつくったシールズは、「民主主義って何だ!」など、それまでにないアピール、コールなどの新鮮な手法で一躍注目された。

 学者の会、ママの会など戦争法に反対する新たな組織の一角を担った。昨年8月30日(日)には、国会周辺に約30万人が集まるほどのインパクトを与えた。その中心で、シールズのメンバー、奥田愛基さんらが「違憲の集団的自衛権行使反対!」「安倍はやめろ!」などのコールをした。

ビラ「わたしの自由について」
(映画「わたしの自由について」のビラ)

 映画では、彼らの集まる場所――ビルの大きなフロアーで、議論する様子やパソコンに打ち込む姿、プラカードの準備、コンビニ弁当を食べる…など、裏方の活動も丹念に追っている。

 その場所から、毎週金曜日の国会前行動のためにハンドマイクなどを運び出す様子も描かれている。メンバーの1人、溝井萌子さんはスピーチタイムで、スマホに打ち込んだ原稿を読み上げる。

 「私はアウシュビッツ収容所を訪れ、150万人が虐殺された強制収容所を訪れました。山のように積み上がった靴やカバン、メガネ…あのころナチスにあがらえなかった人々は、自分の日々の生活を、小さな幸せを優先して、考えることをやめました。

 でも今、私たちには、嫌なことは嫌、という自由があります。私たちにとって政治は生活の一部であり、自分の日々の小さな幸せを考えることこそが、政治を考えることにもつながっているのです」

 シールズを象徴するデザインには、学生本来の本とペンのほかに、ヘッドホンとハンドマイクが描かれている。そのハンドマイクでコールした「野党は頑張れ!」などが政党のこれまでのあり方をも一変させた。

シールズ ハンドマイク
(シールズのハンドマイク)

 昨年9月19日、参院本会議で安倍政権と自民党、公明党によって、安保法制が強行採決された。しかし、1960年の安保闘争とは大きく違った。60年安保闘争は、強行採決されると、“挫折感”が感傷的に語られることが多かった。

 2015年の安保法制反対の運動は、彼らが「民主主義は止まらない」とコールしたように、強行採決で止まらなかった。シールズや学者の会、ママの会などから「野党は共闘!」の大きな声がわき上がった。

 民進党や日本共産党、社民党、生活の党の野党が今年7月の参院選で、32ある1人区で野党統一候補を立てるところまできた。彼らが後押ししたのだ。

 奥田愛基さんが映画で訴えている印象的なシーンがあった。「今年は戦後70年。あと30年で100年になります。100年間、日本が戦争をしなかったなら、お祝いの鐘を鳴らしたい」、と。

 戦前、日本は大日本帝国憲法のもとで日清戦争、日露戦争、アジア・太平洋戦争などをくり返した。明治維新から敗戦までの78年間は、戦争に次ぐ戦争の時代だった。

 戦争放棄を高らかに宣言した憲法9条は、日本が戦争をしないための何よりもの抑止力になった。シールズの学生たちは、戦争体験はない。しかし、彼らは知性によって9条を自分の体の一部にしている。

 戦争から自由になること――それがシールズがたたかった2015年であり、それは参院選など国政選挙に向けてさらに続いているのだ。映画は、シールズの熱い息遣いをあますところなく伝えてくれる。
戦争と平和 | コメント(4) | トラックバック(0) | 2016/05/25 06:37
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