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◎「沖縄 18年末」⑥ 不屈館、対馬丸記念館

 18年年末の沖縄旅行は、最終日の12月28日、那覇市の不屈館と対馬丸記念館へ行った。県庁前のホテルからはどちらも車で10分ぐらいのところにある。

 不屈館とは、那覇市長や沖縄人民党委員長、日本共産党副委員長・衆院議員(7期)を歴任した故・瀬長亀次郎さん(1907~2001年)と民衆のたたかいの資料を集めた記念館だ。

 沖縄の祖国復帰と米軍基地のない平和な社会をめざし、“カメさん”の愛称で親しまれた。沖縄県民の絶大な人気があった。館長は、瀬長さんの二女の内村千尋さんが務めている。

不屈館
(右端の写真が瀬長亀次郎さん=不屈館で)

 不屈館の「会」の会費とカンパを支払うと、「毎年、この時期に来てくれますね」と私のことを覚えていてくれた。午前中なので、館内には誰もいなかった。内村さんに聞くと、28日から休館予定だったが、今日、明日は団体の予約があるので会館しているとの事だった。

 瀬長亀次郎は、17年夏から映画「米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー」が全国各地で上映された。監督は、TBSの元アナウンサーの佐古忠彦氏が務めたこともあって反響を呼んだ。

 安倍政権が、名護市辺野古へ米軍の新基地を、県民の反対を押し切って造ろうとしている時だけに、米軍と不屈にたたかった“カメジロー”が、映画で再評価された。

 “カメジロー”の大きな写真やビデオ、数々の展示を見ていると京都の団体のグループが着いて、館内はにぎやかになった。「カメさん、絶対に新基地は造らせない」との思いを抱いて館を後にした。

 すぐ近くの対馬丸記念館に向かう。沖縄戦が激しかった1944年(昭和19年)8月21日、集団疎開する学童1500人近くが対馬丸に乗船し、長崎に向かう途中、米潜水艦に撃沈されて犠牲になった。

対馬丸記念館1
(対馬丸記念館)

 当時、厳しい箝口令がしかれていたために、現在でも正確な数字は不明な部分が多いという。館内には犠牲者の遺影や遺品が展示されていた。2014年6月に、平成天皇と皇后が来館した。

 戦後70年となる15年新年に天皇は、長崎の被曝の歌を、皇后は対馬丸について歌った。皇后の歌は、「我もまた近き齢(よはひ)にありしかば沁(し)みて悲しく対馬丸思ふ」という。

対馬丸記念館2
(犠牲になった子どもたちの写真=対馬丸記念館)

 天皇、皇后は昨年・18年3月、沖縄へ訪れた。日本の最西端で国境の島・与那国島まで訪れている。在位中に、沖縄へ11回訪れたというが、偶然だが、私の沖縄旅行も11回目である。

 壁一面に展示されている子どもたちの写真を見ていると、戦争さえなければ幸せな人生をおくれただろうと思うと胸が苦しくなってくる。戦争は2度としない、させない――それが戦後、憲法9条に刻まれたのだ。
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沖縄 | コメント(1) | トラックバック(0) | 2019/01/09 14:56
コメント
> “カメジロー”の大きな写真やビデオ、数々の展示を見ていると京都の団体のグループが着いて、館内はにぎやかになった。「カメさん、絶対に新基地は造らせない」との思いを抱いて館を後にした。

現状は以下の通りですけど「共産党が新基地でないと言えば新基地ではない」という論法のまんまですね。

玉城デニー知事、翁長県政を継承 軍港の移設容認 県議会代表質問始まる
2018年10月19日 12:41
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/332122
那覇軍港の浦添への移設には「那覇港湾施設の返還が実現されれば、基地負担の軽減、跡地利用による県の発展につながる」と説明し、これまでの経緯を踏まえ、浦添への移設を容認する見解を示した。


http://www.city.urasoe.lg.jp/docs/2016021800077/
市長 ありがとうございます。まだまだ浦添市民の中には『翁長県知事が浦添市に軍港をもってくるということは信じられない』とおっしゃる方も多いものですから、もう一度確認させていただきたいんですけど、今の文言のとおり『軍港の浦添移設は確実に推進をしていく』という県の立場でよろしいでしょうか。

公室長 はい。これにつきましては議会でも度々答弁しておりますけれども、現在、移設協議会が設けられております。その移設協議会の枠組みの中で話し合いながら、これまでの経緯を踏まえつつ協議していくということで確実な実施がなされる必要があるという方針に変わりはございません。

市長 了解いたしました。それでは浦添の海を埋め立てる新しい基地の建設に関して、沖縄県、そして良い機会ですので那覇市さんもそのような形で進めていくということでよろしいでしょうか。再度確認させてください。

公室長 すみません、那覇港湾の移設に伴って出来る埋立地につきましては、松本市長のお話しのような『新しい基地』という言い方はしてございませんので、念のためそれだけは確認していただきたいと思います。で、それにつきましては那覇市さんと沖縄県、浦添市さん、那覇港管理組合、一緒になって移設協議会で協議していくということに合意しておりまして、昨日も幹事会がおそらく開催されていたと記憶しております。

市長 では、浦添の沖を埋め立てて造る、そして、嘉手納の南にある基地が全部返還される中で一つだけ残る、浦添沖への那覇軍港の移設先については、これは『新基地ではない』というような県のお立場であるということでよろしいでしょうか。

公室長 『新基地』という表現はしたことございません。

県知事 この問題は平成13年に当時の浦添市長が『受け入れる』ということで、那覇港湾管理組合というのも出来てきたわけです。その中で今言う『新基地』という問題からしますと、当時の浦添市長の話は『那覇港湾内での移転である』と。『整備と育成の範囲である』と。その中で浦添ふ頭、あるいは西海岸の発展、それから将来の固定資産税の収入。こういうところから考えると、これはいわゆる整理・整頓の範囲内であるということが当時の浦添市の話でありました。

市長 では、そういった経緯も踏まえたうえで、翁長県知事および沖縄県としては、浦添に今後建設される基地は新建設ではないというお立場、ということですね。

県知事 そうですね。ですから、この那覇軍港の問題は平成13年からの経緯がありますので、それこそ移設に関する協議会、浦添市さんも那覇市さんも県も防衛省も入って、その中で議論を進めていくことになるだろうということで、今、私どもはそのように一応させてもらっているわけです

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