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◎豊田戦争展18 (上) トヨタ工場がある高岡地区の展示も

 第31回豊田市平和のための戦争展が8月25、26の両日、豊田市産業文化センターで開かれた。1997年から開かれている。これまでの展示に加え、今年4月29日に行われた「平和リレー講座」で、現地調査した高岡地区の成果が新たにパネル展示された。

修 戦争展 全景


 高岡地区には、トヨタの堤工場や高岡工場がある。講座では、その周辺を調査した。高岡地区のアジア・太平洋戦争での戦没者は420人にもなる。旧高岡村の大字別の戦没者は、竹(73人)、駒場(60人)、若林(54人)、花園(29人)、吉原(28人)…などとなっている。

 これらの大字には、現在はトヨタの社宅をはじめ、持ち家、マンションがあり、多くのトヨタ社員が住み、工場などで働いている。73年前には、多数の住民が戦争で犠牲になった。その悲しみが、土地に染みついているのだ。

 戦没者の戦地別の人数は、フィリピン(107人)、中国本土(87人)をはじめ、日本本土(42人)、太平洋のマリアナ諸島など(34人)、ガダルカナルなど(29人)、ニューギニアなど(24人)、沖縄(13人)、ビルマ(11人)…。

 無謀な侵略戦争は、中国などアジア諸国から太平洋の島々へと広がり、各地でこんなおびただしい犠牲者を出したのだ。

高岡の戦争1


 先日も、このブログ「トヨタで生きる」(8月19日)でアップしたが、故・藤原彰一橋大教授は、著作『餓死した英霊たち』で、アジア太平洋戦争による戦死者230万人のうち、実に140万人(約6割)の死因は、餓死と栄養失調による戦病死、いわば広義の餓死であったことを明らかにしている。

 ブログでは、半藤利一さんのインタビューも引用した。

……
 陸軍参謀本部や海軍軍令部のエリート将校にとって、兵卒はしょせん、1銭5厘(当時のはがき代)で集められる存在。作戦時には3日間分のコメ6合など25キロの荷物を背負わせ、前線へとおっぽり出した。食糧がなくなれば、現地調達しろと。降伏はありえないのだから、負け戦になれば玉砕しかありえません。敗残兵の消息など気にもとめなかった。
……

 1銭5厘で召集され、その多くが餓死で死んでいったとは…。パネルでは、高岡村の年齢別死没者数も明らかにしている。15歳(2人)、16歳(5人)、18歳(16人)、19歳(11人)、20歳(17人)、21歳(45人)、22歳(55人)、23歳(41人)、24歳(35人)、25歳(20人)…と、これからの若者が圧倒的に犠牲になった。

高岡の戦争2


 パネルでは、1927年(昭和2年)11月15日の陸軍特別大演習の写真が展示してあった。約3万人の兵士が参加して高岡地区で行われたものだ。昭和天皇が白い馬に乗って統監する写真があった。

 若林西町には、天皇が統監したことを書きしるした「今上駐蹕之所」(きんじょうちゅうひつのところ=天皇の休憩所の意味)と書かれた碑が建っているが、その写真がパネルにあった。

 私たちが住む豊田市高岡地区には、わずか73年前には、侵略戦争によってこんな悲惨な歴史があったのだ。2度と戦争はしない――その誓いは憲法9条に凝縮されている。
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戦争と平和 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2018/08/28 13:45
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