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◎人生100年時代 おちゃめな寂聴さんの思い

 医学の進歩などで「人生100年時代」が現実のものになろうとしています。中国の習近平主席とシンガポールのマハティール首相が8月20日、首脳会談を開いたという記事が日経新聞(21日付)に掲載されていました。

 「『一帯一路』でも協力」などの見出しが躍っています。マハティール首相は、シンガポールの5月の総選挙で首相に返り咲きましたが、何と93歳。世界最高齢の首相です。

 政治的立場はまったく違いますが、93歳で首相の激務を務めていることは、習近平主席との首脳会談で明らかになりました。すでに22年間も首相を務めているといいます。100歳まで首相を務めるのでしょうか?

 こちらは日本の作家、瀬戸内寂聴さん。1922年5月15日生まれで96歳です。昨年11月に秘書の瀬尾まなほさん(30)が『おちゃめに100歳! 寂聴さん』(光文社)を出版しました。

 23歳で秘書になった瀬尾さんが、66歳も離れた寂聴さんの日常生活を、実に生き生きと描いています。寂聴さんは「読んだ人は笑い出して、お腹をすかせ、食べて肥って幸福になりますよ!」と推薦しています。

寂聴1
(『おちゃめに100歳! 寂聴さん』)

 瀬尾さんが、文化勲章を受章した最高齢の現役作家の様子を描いています。机に向かっている寂聴さんを後ろからそっとのぞくと、「瀬戸内寂聴」としか書いていない。週刊誌から目を離さないセンセイ。締め切りが迫っている…。

 「心を鬼にして『後にしましょうね』と取り上げる。『全部必要なのよ』と惜しそうに言うけれど、占いのページも必要なの!?(笑い)」

 しかし、書くと決めた時は目の色が変わり、書斎に入った途端、筆が止まらず、原稿用紙に向かったまま。コーヒーも一口も飲まれずに冷たくなっている。気迫はすさまじい、と。

 安倍首相が2015年に強行した戦争法(安保法制)に反対する集会に、瀬尾さんは車いすに乗った寂聴さんとともに国会議事堂前に現われます。その時の描写。

……
 車いすを押し、人垣をかき分けて二人で中央に進んだ。四方から取材カメラのマイクが93歳の先生の小さい体に向けられた。マイクを渡された先生は、車いすから立ち上がって真っすぐ前を見つめて言った。

 「昨年1年病気をして、寝たきりでした。まだ完治していないけれど、最近のこの状況見ると寝てなんていられない。このままでは日本はダメだと思いここに来ました。

 私は大正11年の生まれ、戦争のまっただ中に青春を過ごしました。前の戦争の時に、戦争がいかにひどく大変なのかを身にしみて感じています。引き上げで焼け野原になった故郷・徳島を見たときに、この戦争は天皇陛下のため、日本の将来のため、東洋平和のためと教えられ、信じてきたけれど、戦争にいい戦争も悪い戦争もありません。

寂聴2
(『おちゃめに100歳! 寂聴さん』から)

 殺し殺されるのが戦争。決して戦争を繰り返すまいという思い。ここに集まった方も同じ気持ちだと思う。その気持ちを他の人、特に若い人に伝え、若い人の将来が幸せになるように進んでほしい」

と5分間訴えた。思いを託すように、2度先生が頭を下げると、聴衆が大きな拍手で先生の気持ちに応えた。

(省略)

 「(先生は)でもね、私変わるなんて思っていないの。こんなことをしても安倍政権の暴走を止められるなんて思っていないのよ。安倍さんは民衆の声を聞こうともしないでしょう? だけど何もしないのはダメよ。戦争法案の成立に反対をしていた人がいたということは、歴史に刻まれるでしょう」

 先生の潔さに、胸が熱くなった。私はこれまで座り込みを見たら、「怖い」とか、デモ見たら「関わりたくない」と思っていたけれど、「おかしいことはおかしいと声をあげる」

 その大切さ、実る実らないの問題ではなく、まず、声をあげ、意思表示をする重要さ、それを先生から教えてもらった。黙っているしかない、むしろ自分は関係ないというわたしの考えが一瞬でひっくり返った。
……

 96歳寂聴さん! 「おちゃめに100歳!」まで、日本のためにがんばって!

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戦争と平和 | コメント(5) | トラックバック(0) | 2018/08/23 17:34
コメント
No title
戦後まもなく子供を捨てて不倫しても「おちゃめな」と言われる凄まじさ。


https://ja.m.wikipedia.org/wiki/瀬戸内寂聴
徳島県徳島市塀裏町(現・中州町)の仏壇店(瀬戸内商店)を営む三谷豊吉・コハルの次女として生まれ、体が弱く、本を読むのが好きな子供だった。後に父が従祖母・瀬戸内いとと養子縁組したため、晴美も徳島高等女学校時代に三谷から瀬戸内に改姓。

東京女子大学在学中の1943年に21歳で見合い結婚し翌年に女の子を出産、その後夫の任地北京に同行。1946年に帰国し、夫の教え子と不倫し、夫と3歳の長女を残し家を出て京都で生活。大翠書院などに勤めながら、初めて書いた小説「ピグマリオンの恋」を福田恆存に送る。
No title
私は大正11年の生まれ、戦争のまっただ中に青春を過ごしました。前の戦争の時に、戦争がいかにひどく大変なのかを身にしみて感じています。引き上げで焼け野原になった故郷・徳島を見たときに、この戦争は天皇陛下のため、日本の将来のため、東洋平和のためと教えられ、信じてきたけれど、戦争にいい戦争も悪い戦争もありません。
 殺し殺されるのが戦争。決して戦争を繰り返すまいという思い。ここに集まった方も同じ気持ちだと思う。その気持ちを他の人、特に若い人に伝え、若い人の将来が幸せになるように進んでほしい」



素晴らしい発言に見えますが夫の教え子と不倫して幼子を捨てた時の感想です。
子供の幸せな将来を破壊した人が文化勲章、酷い話じゃありませんか。
No title
そこだけをとらえて全否定するつもりはありません。もっと視野を大きく広げましょう。
No title
マルクス、エンゲルス、レーニンが不倫や売春を繰り返していたせいか共産党は不倫や売春に甘いのかな?

前川さんも売春してたのに不問だし。
女坊主老人

無敵の人

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