◎沖縄から中学生の「生きる」の訴え

 20数万人の命が奪われた沖縄での地上戦が終って73年目の6月23日(土)。所用で自動車を運転していましたが、NHKラジオで糸満市摩文仁の平和祈念公園で開かれた「沖縄全戦没者追悼式」を聞いていました。

 翁長雄志沖縄県知事が「平和宣言」を読み上げました。膵がんで体調を壊した知事ですが、沖縄に新基地をつくらせないという意志の強さは、いささかも失っていない力強いものでした。

……
 平和を求める大きな流れの中にあっても、20年以上も前に合意した辺野古への移設が普天間飛行場問題の唯一の解決策と言えるのでしょうか。日米両政府は現行計画を見直すべきではないでしょうか。

 民意を顧みず工事が進められている辺野古新基地建設については、沖縄の基地負担軽減に逆行しているばかりではなく、アジアの緊張緩和の流れにも逆行していると言わざるを得ず、全く容認できるものではありません。

 「辺野古に新基地を造らせない」という私の決意は県民とともにあり、これからもみじんも揺らぐことはありません。
……

 「みじんも揺らぐことはありません」とのくだりには思わず胸が熱くなりました。さらに心を躍らせたのが沖縄県浦添市立港川中学校3年生の相良倫子さんの「生きる」と題した詩の全文の朗読でした。

 運転していることを思わず忘れそうになるほどひきつけられました。生命のすべてが躍動するような沖縄で、73年前にあった命が奪われる地上戦。中学生が、こんなにも戦争の愚かさを伝えることができる! なかでも、次のフレーズが強く残りました。

「壊されて、奪われた。/生きた時代が違う。ただ、それだけで。/無辜の命を。」

 「生きた時代が違う。ただ、それだけで」、命が奪われるような時代を、しっかりと受け継ぎ、絶対にくり返さぬ思いを語ったのです。後で知ったのですが、8分近い朗読をすべて暗唱していたというから、さらに驚きました。以下は相良さんの「生きる」の全文です。

……
沖縄県浦添市立港川中学校 3年 相良倫子

私は、生きている。
マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、
心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、
草の匂いを鼻孔に感じ、
遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。
 
私は今、生きている。
 
私の生きるこの島は、
何と美しい島だろう。
青く輝く海、
岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、
山羊の嘶き、
小川のせせらぎ、
畑に続く小道、
萌え出づる山の緑、
優しい三線の響き、
照りつける太陽の光。

沖縄 相良倫子さんの詩の朗読
(中学校3年生の相良倫子さんの詩「生きる」の朗読=NHKテレビから)
 
私はなんと美しい島に、
生まれ育ったのだろう。
 
ありったけの私の感覚器で、感受性で、
島を感じる。心がじわりと熱くなる。
 
私はこの瞬間を、生きている。
 
この瞬間の素晴らしさが
この瞬間の愛おしさが
今と言う安らぎとなり
私の中に広がりゆく。
 
たまらなく込み上げるこの気持ちを
どう表現しよう。
大切な今よ
かけがえのない今よ

私の生きる、この今よ。
 
七十三年前、
私の愛する島が、死の島と化したあの日。
小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。
優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた。
青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。
草の匂いは死臭で濁り、
光り輝いていた海の水面は、
戦艦で埋め尽くされた。
火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、
燃えつくされた民家、火薬の匂い。
着弾に揺れる大地。血に染まった海。
魑魅魍魎の如く、姿を変えた人々。
阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶。
 
みんな、生きていたのだ。
私と何も変わらない、
懸命に生きる命だったのだ。
彼らの人生を、それぞれの未来を。
疑うことなく、思い描いていたんだ。
家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。
仕事があった。生きがいがあった。
日々の小さな幸せを喜んだ。手をとり合って生きてきた、私と同じ、人間だった。
それなのに。
壊されて、奪われた。
生きた時代が違う。ただ、それだけで。
無辜の命を。あたり前に生きていた、あの日々を。
 
摩文仁の丘。眼下に広がる穏やかな海。
悲しくて、忘れることのできない、この島の全て。
私は手を強く握り、誓う。
奪われた命に想いを馳せて、
心から、誓う。
 
私が生きている限り、
こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さないことを。
もう二度と過去を未来にしないこと。
全ての人間が、国境を越え、人種を越え、宗教を越え、あらゆる利害を越えて、平和である世界を目指すこと。
生きる事、命を大切にできることを、
誰からも侵されない世界を創ること。
平和を創造する努力を、厭わないことを。
 
あなたも、感じるだろう。
この島の美しさを。
あなたも、知っているだろう。
この島の悲しみを。
そして、あなたも、
私と同じこの瞬間(とき)を
一緒に生きているのだ。
 
今を一緒に、生きているのだ。
 
だから、きっとわかるはずなんだ。
戦争の無意味さを。本当の平和を。
頭じゃなくて、その心で。
戦力という愚かな力を持つことで、
得られる平和など、本当は無いことを。
平和とは、あたり前に生きること。
その命を精一杯輝かせて生きることだということを。
 
私は、今を生きている。
みんなと一緒に。
そして、これからも生きていく。
一日一日を大切に。
平和を想って。平和を祈って。
なぜなら、未来は、
この瞬間の延長線上にあるからだ。
つまり、未来は、今なんだ。
 
大好きな、私の島。
誇り高き、みんなの島。
そして、この島に生きる、すべての命。
私と共に今を生きる、私の友。私の家族。
 
これからも、共に生きてゆこう。
この青に囲まれた美しい故郷から。
真の平和を発進しよう。
一人一人が立ち上がって、
みんなで未来を歩んでいこう。
 
摩文仁の丘の風に吹かれ、
私の命が鳴っている。
過去と現在、未来の共鳴。
鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。
命よ響け。生きゆく未来に。
私は今を、生きていく。
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沖縄 | コメント(2) | トラックバック(0) | 2018/06/24 10:06
コメント
共産党が何故か触れられない翁長知事による新基地建設推進

http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/145116
県・那覇・浦添、軍港移設推進で一致 11月再び会談へ
2017年9月20日 08:04那覇軍港那覇市浦添市翁長雄志城間幹子松本哲治

 米軍那覇港湾施設(那覇軍港)の浦添埠頭(ふとう)内への移設を巡り、翁長雄志知事と浦添市の松本哲治市長、那覇市の城間幹子市長の3者が19日、県庁で初会談し、移設を協力して推進していくことを確認した。その上で、浦添が市内の議論を集約し10月に提示する予定の移設案を踏まえ、11月中に改めて3者会談を開くことを決めた。

会談後、記者団の質問に答える(左から)松本哲治浦添市長、翁長雄志知事、城間幹子那覇市長=19日、沖縄県庁

 会談後、翁長知事は「那覇軍港を早めに移設することは県、那覇市、浦添市で方向性が一致した」と説明。松本市長は「(軍港の)受け入れ先として、市民のさまざまな思いもある。そこを2人に理解いただき、なおかつ浦添側の一方的な計画にならないよう県益全体のことも考えた案を出したい」と話した。城間市長は「浦添市の案が公の場に出た際に、しかるべき話し合いができれば」と述べた。

 3者会談は、軍港の移設位置などを協議するために松本市長がことし2月に翁長知事へ要請し、日程を調整していた。

 那覇軍港の浦添移設を巡っては、浦添埠頭内で軍港と民間港を分離して配置する北側案に対して、浦添市側は軍港と民間港を一体で整備する南側案を主張し、那覇港管理組合などと意見が分かれている。市は民間港の運営に支障が出ない軍港の配置改善案を10月までに提示する方針だ。


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やらされてるのか、望んだのか?

かごいけの幼稚園児を思い出すね

いつもながら、代替案がなく批判する野党に日本人気質は付いていけない…

だから、どうしろ?というのかって感じ

まぁ支持率考えると、何を言っても許されるっー事かな~

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