◎シリーズ「うたのある風景」 礼節だけはわきまえて

 赤レンガ造りのチャペルで知られる神戸市灘区王子の神戸文学館。六甲山を背景にした文学館は、落ち着いたたたずまいで、心が安らぐ。神戸ゆかりの作家たちの原稿や本、作家のコーナーなどが設けられている。

 野坂昭如、横溝正史、椎名麟三、大岡昇平、灰谷健次郎などの原稿、本を見て回っているなかで、「久坂葉子詩集」に目が止まった。広げられた詩集のページには、「こんな世界に私は住みたい」との詩があった。

 こんな世界に私は住みたい
 肩書きもいらず勲章もなく
 人はそれぞれはだかのままの心でもって
 礼節だけはわきまえて
 男も女も仕事をし
 男も女も恋をして
 ひとりひとりの幸福を
 ひとりひとりのねぎごとを
 心にそっと小さくもって
 一生かかって、みずからのためしつくす
 こんな世界に私はすみたい

神戸文学館
(六甲山を背景にした神戸文学館)

 緑の六甲の山に向かって、静かに朗読したくなるような詩だった。仕事をし、恋をし、礼節だけはわきまえて…そのフレーズを静かに口ずさみたくなる。働き疲れ時に、人と人の間の取り方に心労した時には、そっと声を出して。

 久坂葉子(本名は川崎澄子)は、川崎重工グループの創業者、川崎正蔵のひまごである。詩や小説を書き、『ドミノのお告げ』は1950年の芥川賞候補になった。

 亡くなる前に書いた、遺書ともいうべき「久坂洋子の誕生と死亡」に、創作の喜び、苦悩を書きつづっている。新聞記者からの電話にガチャリと受話器を置いた。「絵や舞踏やピアノをやっている令嬢の絵巻」というテーマで記事を書きたい、というものであった。

 父親とたびたび口論した。「お前の幸福のためには結婚して、女らしい生き方をしたらよいのだ」といわれる。薬を飲んで自殺する話も出てくる。それは現実のものになった。1952年12月、21歳で鉄道自殺した。

 戦争が終わり、個人の尊厳、女性の社会進出など日本が民主化されていく時代と朝鮮戦争(1950年)を契機に民主化への反動が強まった時代に久坂洋子は生き、苦悩した。

 「こんな世界に私は住みたい」は、久坂洋子が願った世界である。その願いは、私たちに引き継がれているのだと思った。
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「うたのある風景」 | コメント(3) | トラックバック(0) | 2018/06/10 20:22
コメント
女子大生との歪んだ愛に生き、辞職することになった共産党が指示していた米山前新潟県知事への当て付けですか?
No title
1952年と言うと共産党が組織的に警察官を射殺、交番を焼き討ちなど暴力革命路線を党綱領で決め主流だった時代ですね。

後の時代であれは外部の人間が勝手にやったと苦しい言い訳をしていますけど。
No title
「共産党が指示」? 誤字の上にこじつけ解釈。
「暴力革命」?――日本共産党の歴史を何も知らない。スターリンらの日本共産党への干渉で武力革命が押し付けられたが、宮本顕治・元委員長らは反対した。勉強すれば、すぐわかること。

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