◎「平和リレー講座」で豊田市高岡地域へ(中) 高岡工場前の「御乗替橋」に込められた意味

 「平和リレー講座」で、次に向かったのがトヨタ自動車堤工場から高岡工場へ向かう知立・宮上線の西岡町にある「御乗替橋」だ。そのそばに表忠碑がある。逢妻女川に面して3つの碑が並んで建っており、その1つである。

 碑文には、「明治44年(1911)年秋 大正天皇が皇太子の時、第15師団の演習をご覧になられるため、高岡村の大官橋に乗物で来られ、馬に乗り換えて閲兵された。それを記念して大官橋を御乗替橋と名称を変更し、後世に長く伝えようと考えた」とある。

リレー(中)2
(御乗替橋を歩く参加者たち)

90 高岡工場周辺
(地図には、トヨタ自動車の高岡工場と御乗替橋西の地名がある)

 この碑が建立されたのは大正3年(1914)だそうだ。以前から、この場所はよく通るところで橋のたもとに何か碑があることを知っていたが、そういうことだったんだと驚いた。

 昔からこの橋は大官橋と言われていた。今でもこの橋を大官橋と言う人はたくさんいる。いつのころから御乗替橋という表示がされたのか不思議に思っていた。もっとも私は、「代官橋」と勝手に思い込んでいたのだが。

リレー(中)1
(表忠碑などが建っている)

リレー(中)3
(若林西町にある「今上駐蹕之所」の碑)

 次に、若林西町にある「今上駐蹕之所」(きんじょうちゅうひつのところ)へ行く。駒場町にもあった碑だ。西三河車検場の横にある狭い農道をマイクロバスで入っていくとぽつんと1つだけ碑が立っている。

 ここにも天皇が訪れたという。まわりには田んぼだけなので、知らない人が多いのではないだろうか。今年は「明治維新150年」ということで、安倍政権は政府をあげて明治維新を讃える行事などをしている。

 しかし、高岡地域に残る「今上駐蹕之所」をはじめとする碑の数々は、2度と侵略戦争をしてはならないことを示すものではないだろうか。憲法9条を守ることとそれは直結しているように思えた。

 昼食のために、一度、高岡コミュニティセンターへ戻った。昼食の前に高岡コミュニティセンターの裏の六鹿会館にある慰霊碑を見た。高岡町の戦没者440人を追悼するために1965年に建てられた。高岡町だけで、こんなに多くの犠牲者を出したのか。

リレー(中)4
(六鹿会館にある慰霊碑)

リレー(中)5
(交流する参加者たち)

 コミュニティセンターの大ホールで昼食をとりながら交流した。実行委員会から補足の説明や午後の予定が報告され、参加者からは、「知らなかったことばかりで大変勉強になった」などの感想が出された。

               ◇

 この記事は、5月6日にアップする予定でしたが、都合により前日にアップしました。
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戦争と平和 | コメント(4) | トラックバック(0) | 2018/05/05 17:26
コメント
天皇認めていなかったですよね最近まで。

戦没者に失礼なので侵略とか言わないで

このボケナスが!
No title
下記の京都新聞の記事の方が、勤め人にとっては、興味があります。

http://www.kyoto-np.co.jp/economy/article/20180505000115
No title
侵略でなかったら、何なの?
考え方や捉え方の解釈では?

石碑を建てた人が「侵略」や「反省」の為に、村に建てますかね?

どちらかと言えば、追悼や史石碑の為


何でも反省謝罪繰り返さない為に、……

ついでに賠償ってか♪


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