◎大河ドラマ「真田丸」の現地を歩く

 今日は、このブログの「壮絶な最期 『真田丸』展を見る」(10月3日アップ)の続きである。真田丸の砦の跡地を歩いてみた。「真田丸」展を開催していたのは、大阪城の西側にある大阪歴史博物館である。

 そこから、飛鳥時代と奈良時代の2期にわたって都があった難波宮跡の公園を通る。公園から大阪城が見えるが、高層ビル群の谷間にあるように見える。戦国時代は壮麗な城だったろうが、今ではビルの方が高い。

 歩いて20分ほどで真田丸推定地に着く。現在の大阪明星学園の周辺が推定地といわれる。惣構堀の南側に半円状につくったのが真田丸で、東郭、西郭が付随している。

35 真田丸 地図
(真田丸の位置=チラシの地図から)

 現地には空堀という町名が残っていた。惣構堀の西側は、空堀だったからだろう。大阪明星学園のグランドの北側は、高いコンクリート塀になっていた。学園の東側に沿って歩くと坂になっている。

 高台に真田丸という砦をつくったことが実感できる地形だった。地形と坂が大好きなタモリには、こたえられない場所だろう。「ブラタモリ」は、今年2月に真田丸スペシャルを放送したが、場所は群馬県の沼田だった。是非とも、大阪明星学園にも来て、蘊蓄(うんちく)をかたむけて欲しいものだ。

12 真田丸跡地 (2)
(真田丸の跡地。坂になっており、高台に砦が築かれたことがわかる)

 大阪冬の陣(1614年)では、真田信繁(幸村)の真田丸での奮闘で、徳川家康軍は蹴散らされる。家康は豊臣秀頼と和睦を結んで、二の丸、三の丸、外堀、惣構堀、真田丸などを埋め、破壊尽くす。裸同然になった大阪城は、翌15年の夏の陣で落城する。

 夏の陣で、信繁は家康の本陣に迫るが戦死する。大阪には、信繁の碑があちこちにある。今年になって明星学園の東側に顕彰碑が建てられた。東郭跡に三光神社があるが信繁の銅像が建っている。銅像の後ろには、大阪城へつながるといわれる洞穴「真田の抜け穴」があるが、実際は古墳だ。

10 真田幸村像
(真田信繁の銅像。左側に「真田の抜け穴」がある)

 大河ドラマでは、いよいよハイライトの大阪の陣が始まる。それにしても、真田信繁とその一族の人気は根強い。権力者、家康に敢然とたたかい、戦死していくという悲劇性があるからだろう。

 源義経、大石内蔵助などと同様に、悲劇の主人公は、日本人好みだ。反対に、源頼朝や吉良上野介、徳川家康などはきわめて不人気だ。権力者や力ある者に対し、義憤、反感を感じる国民性が強いのだろう。

10 真田丸顕彰碑
(真田の顕彰碑。後ろは大阪明星学園のグラウンド)

 大河ドラマの前半は、信繁の父親・昌幸役の草刈正雄の演技が抜群だった。徳川に2回も勝った“真田戦略”を練る場面の演技は、独特のユーモアも交えて実にうまい。信繁役の堺雅人は草刈の陰に隠れそうだった。真田丸の攻防では、堺の演技が光ることを期待したい。

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その他 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/10/05 18:00
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