◎壮絶な最期 「真田丸」展を見る

 NHKの2016年・大河ドラマ「真田丸」が快調だ。関ヶ原のたたかいで、石田三成方についた真田昌幸・信繁(幸村)親子は、家康の命令で高野山の麓、和歌山の九度山に幽閉される。

 「幸村は 閉じ込められて 鬱々と」の気分だったろう。14年も耐え忍んだ後、豊臣秀頼の大阪城から使者が来る(10月2日放送)。いよいよ主人公の見せ場になる真田丸の砦でのたたかい――大阪・冬の陣が始まる。

 真田氏の資料を集めた「真田丸」展が、4月に東京で始まり、真田氏の故郷の上田に続いて大阪歴史博物館で開かれている。先日、大阪へ足を延ばし、真田丸の現場視察を兼ねて「真田丸」展を見た。

 250点を超える資料は見ごたえがあった。なかでも2つの展示に心をひかれた。1つは、戦国武将の書状だ。秀吉や三成が上杉にあてた手紙などは国宝になっていて驚いた。もちろん、達筆な筆さばきを簡単に読めない。

 なかでも薩摩藩の島津家久と思われる人物が、国許にあてた書状に見入った。大阪の陣の顛末を書いており、信繁を「真田日本一の兵(さなだひのもといちのつわもの)」と指摘し、後世の真田伝説を作り出す元資料になった。

真田丸 頭蓋骨
(「真田丸」展のチラシと発掘された頭蓋骨=図録から)

 その一方で、1つの頭蓋骨に動けなくなった。大阪冬の陣で埋められた堀を発掘したところ出てきた。歯から20歳前後の若武者と推定されるという。頭蓋骨には、刀創が残っていた。

 頭の頂の部分と後ろ側に4カ所あり、56mm、61mm、80mmの長い刀創だ。テレビドラマでの戦闘シーンは、バッタ、バッタとかっこよく描かれることが多い。

 しかし、発掘で明らかになったのは、大阪の陣の戦闘の激しさと残虐さを物語っている。戦国時代を終わらせる最後のたたかいとなったとはいえ、家康の勝利の陰にどれだけの命が奪われたことか。

 お茶の間で見るテレビドラマでは、残酷なシーンを放送することはできないだろう。大阪の陣から400年、残酷な戦争は、いまだに世界からなくなっていない。あの頭蓋骨が何か訴えてくる気がする。
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戦争と平和 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/10/03 18:52
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