◎民草側からの昭和史を描いた半藤一利さん

 わかりやすく昭和史を研究している作家の半藤一利さん(85)の本を読み漁っています。新刊の『B面 昭和史 1926~1945』も、いま読んでいるところです。すると、最新号の「しんぶん赤旗」日曜版(5月8日合併号)の1面に、半藤さんが登場しています。我が意を得たり、の思いです。

 しかも、『B面 昭和史』へのインタビューです。A面とは、政府や権力者側からの昭和史ですが、今回はB面として庶民の側から昭和史を描こうというものです。「2・26事件」が起きた昭和11年(1936年)の冒頭、半藤さんはこう書いています。

 「そもそも歴史という非情にして皮肉な時の流れというものは、決してその時代に生きる民草によくわかるように素顔をそのままに見せてくれるようなことはしない。いつの世でもそうである。何か起きそうな気配すらも感ぜぬまま民草は、悠々閑々と時代の風に吹かれてのんびりと、あるときには大きく揺れ動くだけ、そういうものである」

 そして、半藤さんは2月9日のプロ野球初の公式戦についてふれています。名古屋市郊外の鳴海球場での東京巨人軍と名古屋金鯱(きんこ)軍の対戦です。10対3で金鯱軍が勝利しています。

 金鯱軍が巨人軍の沢村栄治投手らに集中打を浴びせて勝ったといいます。沢村投手は、快速球投手として知られていましたが、3度の徴兵制の後、屋久島沖で戦死します。沢村賞が設けられ、15年は広島カープの前田健太投手(現在、大リーガーのドジャース)が選ばれています。

日曜版 半藤さん


 プロ野球初の公式戦から17日後の2月26日、青年将校らが「昭和維新・尊皇討奸」をスローガンにクーデターを起こします。この年、政府は日独防共協定を結び、翌年の36年には軍部が盧溝橋事件を起し、日中戦争へ突入していきます。

 トヨタでは、前年の昭和10年(1935年)12月に現在の本社工場の地鎮祭を行い、昭和12年(1937年)には豊田自動織機から分離独立してトヨタ自動車工業が設立されます。豊田喜一郎の願いであった国産乗用車の生産体制が整います。

 しかし、喜一郎の夢は砕かれ、政府は日中戦争に使うための軍用トラックの生産を命じます。プロ野球の公式戦が始まったのもつかの間、選手たちは相次いで徴兵され戦死していきます。

B面 昭和史


 先日4月19日、豊田駅前で戦争法(安保法制)廃止を求めて、スタンデングアピールが行われました。参加者の1人は、「戦争は平和な顔してやってくる」とのプラカードを持っていました。

 半藤さんの言うように、“時代の風に吹かれてのんびり”しているうちに、わたしたちが戦争に巻き込まれてしまった、ということになりかねません。

 半藤さんは、先の日曜版のインタビューでこう答えています。

……
 今度の(参院)選挙で共産党さんが本当に共闘してくれるのなら、ありがとうございます、とお礼を申し上げたい。よくぞ踏み切ってくれたと思います。…いまの日本はまるで昭和13、14(1938、39)年ごろのような不気味さも感じます。

 同時に、戦前と違い現在は、戦後70年間で築いてきた民主主義の理念がまだ大きく根付いています。若い人たちの間にも、シールズのように、自分の頭で考え自発的に行動を起こす動きが出ている。私はとても期待しています。
……
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戦争と平和 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2016/05/01 11:29
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