◎三輪敏博さんの労災裁判 3月16日判決 (上)

 トヨタ自動車の関連会社、テー・エス・シーで働いてきた三輪敏博さん(死亡当時37歳)が過労死で亡くなって4年余り。2人の子どもをかかえた妻の香織さんの労災認定を求める裁判が12月16日、結審しました。来年3月16日に名古屋地裁で判決が出ます。

 「三輪敏博さんの過労死認定を支援する会」の森下浩平事務局長に、三輪さんがなぜ過労死にいたったか、労基署や裁判所でのたたかいについて寄稿していただきました。

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三輪敏博さんの労災認定を求める裁判が結審しました。

【三輪敏博さんのしごと】
 トヨタテクノクラフトはトヨタ自動車が100%出資の企業です。本社は神奈川県にあり、愛知工場は2006年8月に開設され、首都圏以外では初めての工場です。救急車をはじめ官公庁や海外向け特装車の組み立て、それに試作車開発を中心とした事業をおこないます。

 三輪敏博さんはトヨタテクノクラフトの敷地内に置かれる主要子会社であるテー・エス・シーに勤めていました。テー・エス・シーでの主な仕事は救急車の防振ベッドの架装でした。救急車は患者を搬送するのですから、患者に振動が伝わりにくいことが要求されます。そのために使用されるのが防振ベッドです。

 【2011年敏博さんに降りかかった出来事】
 2011年、敏博さんにいくつもの予想もしなかった出来事が降りかかってきます。ひとつはチーフへの昇進を打診されたことです。まじめな働きぶりと気遣いある周囲への対応が評価されたのでしょう。一般には昇進は喜ぶべきものでしょうが、本人にとっては責任の重さと負担の増加があり、うれしいというだけではすまないこともあります。

 もうひとつはテー・エス・シーでの本務に加えてトヨタテクノクラフトの作業への応援業務がありました。トヨタが新車種を発売するということでトヨタテクノクラフトは6月ごろから多忙になったことが応援の理由です。応援作業のあとから事務処理をおこなう必要もあったでしょう、長時間労働の原因となりました。

 それから、土日の休日が木金に変更されたことも敏博さんに心理的な負担を強いることになりました。この年3月11日の東北大震災以降、夏場の電力不足が懸念されたための措置でした。小学生と園児、ふたりの子どもさんと一緒にいることが仕事の疲れをいやす楽しみであった敏博さんには、土日出勤はその機会を大幅に減らすことになりました。

三輪さん 結審
(名古屋地裁での裁判が結審して、あいさつする三輪香織さん=12月16日)

 【うつと長時間労働そして死】
 そうなる前から、うつ状態で治療を受けていた敏博さんでしたが、それ以後、症状は悪化していきます。就寝しても寝付きが悪く、浅いねむりがつづく様子でした。そして、朝は寝覚めよく起きらず、亡くなる前日は仕事に出かけるのもつらそうだったと家族はいっています。

 2011年9月27日、自宅で倒れているところを家族が見つけられましたが、虚血性心疾患(致死性の不整脈)助かりませんでした。過労が前触れもなく人の命を奪うことは大いにありうることだといわれています。

 【過労死不認定】
 遺族はタイムカードや仕事の内容を調べていくうちに、1か月の時間外労働が100時間を超えることを知り過労死を確信して、テー・エス・シーを管内に持つ半田労働基準局に過労死認定申請をしました。

 結果は意外なものであり、改めて愛知労働局に申請したものの2013年3月審査請求を却下され、労働保険審査会も2013年12月に棄却の決定をしました。

 厚労省による労災認定の基準は、亡くなる1か月間に100時間程度の時間外労働が認められるか、亡くなる6か月前から2カ月前までの1か月あたりの平均時間外労働が80時間程度あることとしています。

 敏博さんの場合、大震災以後の数か月間は仕事があまりなかったので基準には達していませんでした。また、労働基準監督署などが亡くなる1か月前の時間外労働を85時間程度と判断しました。

 遺族が100時間を超えるとしたのになぜこのような差が出たのか。それは、休憩時間の設定があり、その間は仕事をしていなかったと判断したためです。どの程度、個別の経過を調査したのかわかりませんが、結論は厚労省の基準が決め手となったようです。
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過労死 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2015/12/25 12:11
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