◎豊田市の戦争遺跡を訪ねる その①

 今年は、戦後70年目の節目の年です。その重要な年に、安倍政権は集団的自衛権の行使などを盛り込んだ「戦争法案」(安保法制)を、憲法に反してしゃにむに通そうとしています。

 豊田市で、このほど(4月29日)、第15回平和リレー講座(豊田市平和委員会や豊田市平和を願い戦争を記録する会など4団体が呼びかけ)が開かれました。2001年に始まって、13年を除いて毎年開いています。

 今回は、豊田市挙母地区の戦争遺跡を訪ね、戦争の真実を知ろう、伝えようと開かれたものです。講座に参加したトヨタ自動車OBに、寄稿してもらいました。

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 集合場所の枝下公園(豊田市民文化会館の南側)には、約70人が集まっていた。こんなにたくさんの人が集まるとは、びっくりだ。マイクロバス2台とワゴン車1台に分乗して出発。名古屋市の中学校の女子生徒2人が先生とともに参加していた。中学生にこそ、戦争を伝えたい。

 日本共産党の本村伸子衆院議員や根本みはる豊田市議らも参加した。出発時からテレビ局が2社、カメラを回していた。新聞社も3社参加している。メディアの関心も高いのだ。最後まで付き添って取材していた。

15 遺跡1
(挙母神社の「殉国戦死之碑」)

 最初に豊田市の中心部の挙母神社へ行った。豊田市で、旧市名が残る数少ないところだ。鳥居をくぐってすぐ左に「殉国戦死之碑」がある。挙母神社には、数知れないほど来ているが、今まで気づかなかった。

 碑には646人の戦没者の名前が刻みこまれている。その碑の前で、18歳で出征されたお年寄りから話をうかがった。天皇の名で召集された兵隊が、町中の人に見送られて戦場へ向かったという。

 話しを聞きながら、戦争映画などで、「バンザイ」「バンザイ」と言われて送り出されたシーンを思い出した。終戦が近くなると、見送りは20人ほどの少人数なったという。碑に刻まれたのは、戦没者のすべてではなく、700人ほどになるのではないかという。

15 遺跡2
(小坂町3丁目の洞泉寺)

 豊田駅の西側、小坂町3丁目の洞泉寺へ向かう。このお寺があることを知らなかった。大きく立派な寺だ。この寺にたくさんの学童が集団疎開をしてきたという。集団疎開といっても、今の子どもたちには分からないだろう。戦争体験を伝えていくことの重要性を感じた。
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戦争と平和 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2015/07/07 05:57
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